「監査調書の作成と保存」の実務的意義
監査調書は、監査人が実施した監査手続とその結果を記録した文書であり、監査証明を支える最も重要な証拠となるものです。結論から申し上げますと、適切な監査調書の作成と保存がなければ、信頼性の高い監査証明を提供することは不可能です。
監査基準第三 実施基準 一 基本原則4は、次のように規定しています。
「監査人は、監査計画、実施した監査の手続及びその結果、自己の意見を形成するに足る基礎を得たと判断した理由を記録し、これを保存しなければならない。」
この基本原則4が求めているのは、監査の全プロセスを適切に文書化し、後日検証可能な状態で保存することです。つまり、監査人が何をどのように実施し、どのような根拠に基づいて監査意見を形成したのかを、明確に記録として残すことが義務づけられているのです。
本稿では、この基本原則4が監査実務においてどのような意義を持ち、どのように実践されるべきかを、具体的な事例を交えながら詳しく解説してまいります。
監査調書の定義と役割――監査証明を支える「証拠の束」
監査調書(Audit Documentation)とは、監査人が実施した監査手続、入手した監査証拠、到達した結論を記録した文書の総称です。英語では「Working Papers」とも呼ばれ、監査業務の「作業記録」という性格を持っています。
監査調書には、以下のような多様な書類が含まれます。
- 監査計画書: リスク評価の結果、重要性の基準値、監査手続の概要など
- 監査手続の実施記録: 実査の結果、確認状の送付と回収記録、分析的手続の結果など
- 入手した監査証拠: 契約書のコピー、議事録の写し、経営者からの確認書など
- 監査人の判断と結論: 重要な判断事項、専門家の利用、意見形成の根拠など
これらの監査調書は、監査証明の信頼性を担保する「証拠の束」であり、監査人の職業的判断のプロセスを後日検証可能にする重要な役割を果たします。
監査調書が果たす主な役割は、次の5つに整理できます。
1. 監査意見の根拠の提示
監査人が表明する監査意見は、十分かつ適切な監査証拠に基づいていなければなりません。監査調書は、その証拠が実際に入手されたこと、そして適切に評価されたことを示す唯一の証明となります。
2. 品質管理のための基礎資料
監査事務所内での査閲(レビュー)や審査(EQCR)において、監査調書は品質管理の対象となります。上位者が監査の実施状況を確認し、必要な指導を行うための基礎資料として機能します。
3. 外部検査への対応
公認会計士・監査審査会や日本公認会計士協会による品質管理レビューにおいて、監査調書は検査の対象となります。適切な監査調書がなければ、監査が適切に実施されたことを説明することができません。
4. 訴訟リスクへの対応
万が一、監査証明に関して訴訟が提起された場合、監査調書は監査人が適切に監査を実施したことを証明する最も重要な証拠となります。
5. 次年度監査への引継ぎ
監査は継続的な業務です。前年度の監査調書は、次年度の監査計画を策定する際の重要な参考資料となり、監査の効率性と有効性を高めます。
このように、監査調書は単なる「記録」ではなく、監査証明の信頼性を支える多面的な機能を持つ、極めて重要な文書なのです。
監査調書に記載すべき事項――「何を」「どこまで」記録するか
それでは、監査調書には具体的にどのような事項を記載すべきなのでしょうか。
基本原則4は、「監査計画、実施した監査の手続及びその結果、自己の意見を形成するに足る基礎を得たと判断した理由」を記録することを求めています。これを実務的に分解すると、以下の7つの要素が重要となります。
1. 監査対象の識別情報
監査対象となる財務諸表の期間、企業名、財務諸表項目など、監査の対象を明確に識別できる情報を記載します。
2. 実施した監査手続の性質・時期・範囲
どのような監査手続を、いつ、どの程度の範囲で実施したのかを具体的に記載します。例えば、「20XX年12月31日に本社倉庫において棚卸立会を実施し、主要品目100項目について実査を行った」といった記載です。
3. 入手した監査証拠の内容
監査手続を通じて入手した証拠の内容を記載します。証拠そのもの(契約書のコピーなど)を添付する場合もあります。
4. 監査手続の実施者と査閲者
誰が監査手続を実施し、誰がその結果を査閲したのかを明記します。監査チーム内の責任の所在を明確にするためです。
5. 監査人の判断と結論
監査証拠をどのように評価し、どのような結論に至ったのかを記載します。特に、重要な判断事項については、判断の根拠と理由を詳細に記録します。
6. 例外事項とその対応
監査手続の実施において発見された例外事項(異常な取引、内部統制の不備など)と、それに対する追加手続や評価を記載します。
7. 意見形成に至るプロセス
最終的な監査意見の形成に至るまでのプロセス、特に重要な判断や協議の内容を記載します。
監査調書の作成において重要なのは、「監査に関与していない有能な職業的専門家が理解できる程度に詳細に記載する」という視点です。これは監査基準委員会報告書230「監査調書」において明示されている原則であり、監査調書が持つべき「独立性」と「検証可能性」を担保するための基準となります。
ある中堅監査法人のパートナーJ氏は、若手スタッフへの指導において次のように語ります。
「監査調書は、君たちが実施した監査の『物語』なんだ。1年後に君たち自身が読み返したとき、あるいは全く別の監査人が読んだときに、『何が起こり、どう対応し、どう結論したのか』が明確に理解できなければならない。記憶に頼った記載や、『○○については検討済み』といった抽象的な表現は避けるべきだ。」
この指導は、監査調書の本質を端的に示しています。
監査調書の作成時期とタイムリー性――「いつ」作成するか
監査調書は、いつ作成すべきなのでしょうか。この点も、基本原則4の実践において極めて重要です。
結論から申し上げますと、監査調書は監査手続の実施後、可能な限り速やかに作成することが求められます。監査基準委員会報告書230は、「監査調書を適時に作成することにより、監査の品質が向上し、また、監査人が監査手続の実施において気付いた重要な事項のレビュー、検討及び文書化が容易になる」と述べています。
タイムリーな監査調書の作成が重要である理由は、次の3点に集約されます。
1. 記憶の鮮度の確保
監査手続を実施した直後は、実施の詳細や観察した事項、判断の根拠などが記憶に鮮明です。時間が経過すると、これらの記憶は曖昧になり、正確な記録が困難になります。
2. 証拠の散逸防止
監査手続の実施時に入手した証拠(例えば、担当者への質問結果、現場での観察内容など)は、時間の経過とともに散逸したり、再現が困難になったりします。
3. 品質管理の実効性確保
監査調書が適時に作成されることで、上位者による査閲や審査が効果的に機能し、問題点の早期発見と是正が可能になります。
実務においては、以下のようなタイミングで監査調書を作成することが推奨されます。
- 期中監査の段階: 期中に実施した内部統制の評価、リスク評価手続などは、実施後速やかに記録
- 期末監査の段階: 実査、確認、証憑突合などの実証手続は、各手続の完了後速やかに記録
- 監査報告書日まで: すべての監査調書は、監査報告書日までに完成させる
監査基準委員会報告書230は、監査報告書日後60日以内を目途に、監査調書の最終的な整理と保管を完了することを求めています。この期間内に、監査ファイルの「締め切り」を行い、以後の変更を原則として禁止することで、監査証明の証拠としての完全性を確保します。
監査調書の保存期間と管理――監査証明の「証拠力」を守る
適切に作成された監査調書は、適切に保存されなければその価値を失います。基本原則4が「保存しなければならない」と明記しているのは、この重要性を強調するためです。
監査調書の保存期間については、公認会計士法第34条の13において、「監査証明を行った日から10年間」と定められています。この10年間という期間は、商法や会社法における帳簿書類の保存期間との整合性や、訴訟における時効期間などを考慮して設定されたものです。
監査調書の保存においては、以下の要件を満たす必要があります。
1. 完全性の確保
監査調書は、作成時の状態を完全に保持しなければなりません。事後的な追加、削除、変更があってはならず、万が一変更が必要な場合は、変更の事実、理由、日時、変更者を明確に記録しなければなりません。
2. 機密性の確保
監査調書には、被監査企業の機密情報が含まれます。適切なアクセス管理、暗号化、物理的セキュリティなどにより、機密性を確保しなければなりません。
3. 検索可能性の確保
必要な時に必要な監査調書を迅速に検索・取り出せるよう、適切な索引管理やファイル命名規則を整備する必要があります。
4. 可読性の確保
10年間という長期にわたって保存される監査調書は、技術的な陳腐化によって読めなくなるリスクがあります。電子ファイルの形式やソフトウェアの互換性に配慮した保存方法を選択する必要があります。
近年では、多くの監査法人が監査調書の電子化を進めており、クラウドベースの監査調書管理システムを導入しています。これにより、保存の効率性と安全性が大幅に向上していますが、同時に、システムのセキュリティやバックアップ体制の整備が新たな課題となっています。
ある大手監査法人のIT担当パートナーK氏は、次のように述べています。
「監査調書の電子化は、保存スペースの削減や検索効率の向上など、多くのメリットをもたらします。しかし同時に、サイバーセキュリティのリスクや、システム障害時のデータ復旧など、新たなリスク管理の課題も生じています。当法人では、多重バックアップ、定期的な復旧テスト、厳格なアクセス権限管理などを徹底し、監査調書の完全性と機密性を確保しています。」
この指摘は、監査調書の保存が単なる「物理的な保管」ではなく、高度なリスク管理を伴う重要な業務であることを示しています。
監査調書の査閲と品質管理――組織的な「チェック機能」
監査調書の作成は、個々の監査人の責任であると同時に、監査事務所全体の品質管理の対象でもあります。基本原則4が求める「記録し、保存する」義務は、組織的な品質管理体制の中で実践されなければなりません。
監査調書に対する品質管理は、主に以下の3つのレベルで実施されます。
1. 監査業務チーム内での査閲
監査業務の実施者が作成した監査調書は、監査チーム内の上位者(シニアスタッフ、マネージャー、パートナー)によって順次査閲されます。この査閲では、以下の点が確認されます。
- 監査手続が監査計画に従って適切に実施されているか
- 監査証拠が十分かつ適切に入手されているか
- 監査調書の記載が明確で、理解可能か
- 例外事項に対する対応が適切か
- 重要な判断事項が適切に文書化されているか
2. 監査業務に係る審査(EQCR)
一定の要件を満たす監査業務(上場企業の監査など)については、監査チームから独立した審査担当者による審査が義務づけられています。この審査では、監査調書の主要な部分がレビューされ、監査の実施と結論の妥当性が客観的に評価されます。
3. 品質管理レビュー
公認会計士・監査審査会や日本公認会計士協会による品質管理レビューにおいて、完成した監査調書ファイルが外部から検査されます。この検査では、監査基準や監査基準委員会報告書への準拠性、監査証明の適切性などが評価されます。
これら3つのレベルでの品質管理を通じて、監査調書の品質が確保され、ひいては監査証明の信頼性が担保されるのです。
ある中堅監査法人での実際の事例を紹介しましょう。
年商約200億円の製造業L社の監査において、担当スタッフのM氏は期末の棚卸資産の実査を実施し、監査調書を作成しました。しかし、査閲を行ったシニアのN氏は、以下の点を指摘しました。
「実査の範囲が『主要品目』としか記載されていないが、具体的にどの品目を、何個実査したのかが不明確だ。また、実査の結果、帳簿数量と実際数量の差異が2件発見されたと記載されているが、その差異の原因調査と評価が記録されていない。これでは、監査手続が十分に実施されたかどうかを判断できない。」
この指摘を受けて、M氏は監査調書を修正し、以下の情報を追加しました。
- 実査対象: A製品50個、B製品30個、C製品20個(合計100個、帳簿残高の金額ベースで75%)
- 差異の内容: A製品について帳簿50個に対し実際49個(差異1個、金額約5万円)、C製品について帳簸20個に対し実際21個(差異1個、金額約3万円)
- 原因調査: 倉庫担当者への質問により、A製品1個は出荷済みだが伝票未処理、C製品1個は返品受入済みだが伝票未処理と判明
- 評価: いずれも伝票処理の遅延によるタイミング差異であり、決算日後に適切に処理されることを確認。重要性は僅少であり、財務諸表に重要な影響なしと判断
この修正により、監査調書は「監査に関与していない有能な職業的専門家が理解できる程度」の詳細さを備えることができました。
当事務所における監査調書の作成・保存体制
当事務所では、基本原則4が求める監査調書の作成と保存を、以下の体制で実践しております。
標準化された監査調書のフォーマット
監査調書の品質と効率性を確保するため、主要な監査手続について標準化されたフォーマットを整備しています。これにより、記載すべき事項の漏れを防ぎ、監査人による品質のばらつきを最小化しています。
適時作成の徹底
監査手続の実施後、原則として3営業日以内に監査調書を作成することをルール化しています。監査チーム内での進捗管理により、作成の遅延を防止しています。
お問い合わせ
預金不足の解決策、純資産不足の解決策、合意された手続、監査のお問い合わせなどお気軽にお問い合わせください。
投稿者プロフィール

- 労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。
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