監査基準における「守秘義務」とは何か?

公認会計士が監査証明業務を行うにあたって、クライアント企業の内部情報に広範にアクセスすることになります。監査基準第二「一般基準」の8では、監査人が業務上知り得た秘密を正当な理由なく他に漏らし、又は窃用してはならないことが明確に規定されています。

しかし、「守秘義務ってどこまで厳格なの?」「家族にも話してはいけないの?」「違法行為を発見した場合も黙っていなければならないの?」といった疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。特に、監査証明業務を始めたばかりの若手公認会計士にとって、守秘義務の範囲や例外について、正確に理解することは難しい部分があるかもしれません。

そこで今回は、監査基準第二「一般基準」の8である「守秘義務」について、その意義、具体的な内容、実務上の重要性、さらには守秘義務の例外や違反した場合のリスクまで、詳しく解説いたします。実際の監査現場での事例も交えながら、この規定が監査制度に対する社会的信頼の基盤であることをご理解いただければと思います。

監査基準第二 一般基準 8「守秘義務」の内容

まず、監査基準において「守秘義務」はどのように規定されているのでしょうか。

監査基準第二「一般基準」の第8項では、「監査人は、業務上知り得た秘密を正当な理由なく他に漏らし、又は窃用してはならない」と定められています。

この条文は簡潔ですが、極めて重要な二つの禁止事項を含んでいます。

第一に、「他に漏らし」という禁止です。これは、業務上知り得た秘密を、第三者に開示してはならないことを意味します。意図的な開示だけでなく、過失による漏洩も含まれます。例えば、電車の中で監査業務について話す、カフェで監査調書を広げる、個人のメールアドレスで機密文書を送信するといった不注意な行為も、守秘義務違反となり得ます。

第二に、「窃用してはならない」という禁止です。「窃用」とは、業務上知り得た秘密を自己または第三者の利益のために不正に使用することを指します。例えば、監査業務を通じて知った企業の未公表の業績情報を利用してインサイダー取引を行う、企業の顧客情報を利用して自己のビジネスに活用するといった行為が該当します。

また、「正当な理由なく」という文言も重要です。これは、守秘義務には一定の例外があることを示唆しています。つまり、「正当な理由」がある場合には、秘密を開示することが許される、あるいは求められることがあるのです。この点については、後ほど詳しく解説します。

この守秘義務は、監査基準だけでなく、公認会計士法第27条においても明確に規定されており、違反した場合には刑事罰の対象となる極めて厳格な義務なのです。

守秘義務の法的根拠と罰則

監査基準における守秘義務の規定は、公認会計士法の規定を前提としています。公認会計士法第27条では、「公認会計士又は会計士補は、正当な理由がなく、その業務上取り扱ったことについて知り得た秘密を他に漏らし、又は盗用してはならない。公認会計士又は会計士補でなくなった後においても、同様とする」と規定されています。

この規定には、いくつかの重要な特徴があります。

第一に、業務の種類を問わないことです。監査証明業務だけでなく、税務相談、経営コンサルティングなど、公認会計士としての全ての業務に適用されます。

第二に、時間的制限がないことです。「公認会計士でなくなった後においても、同様とする」と規定されており、公認会計士の登録を抹消した後でも、守秘義務は継続します。さらに言えば、生涯にわたって守秘義務が継続すると解されています。

第三に、刑事罰の対象となることです。公認会計士法第52条では、守秘義務に違反した者は、「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」に処すると規定されています。これは、守秘義務が単なる職業倫理上の義務ではなく、刑事法上の義務であることを示しています。

第四に、行政処分の対象にもなることです。日本公認会計士協会の会則や倫理規則においても守秘義務が規定されており、違反した場合には、戒告、会員権の停止、除名などの懲戒処分を受ける可能性があります。また、金融庁からも、業務停止や登録抹消などの行政処分を受ける可能性があります。

このように、守秘義務は、公認会計士にとって最も厳格な義務の一つであり、違反した場合の制裁も極めて重いのです。

なぜ監査証明業務において守秘義務が重要なのか

それでは、なぜ監査証明業務において、守秘義務がこれほど重要視されるのでしょうか。その理由は、監査という業務の本質に関わっています。

第一に、監査の実効性の確保です。監査人が企業の財務諸表の適正性を評価するためには、企業の内部情報に広範にアクセスする必要があります。経営戦略、取引先情報、原価情報、新製品開発計画、訴訟案件、経営者の報酬など、極めて機密性の高い情報を入手します。

もし監査人に守秘義務がなければ、企業は監査人に対して十分な情報を提供することを躊躇するでしょう。その結果、監査人は適切な監査証拠を入手できず、監査証明の品質が低下してしまいます。守秘義務があるからこそ、企業は安心して監査人に情報を提供できるのです。

第二に、企業の競争力の保護です。企業が保有する機密情報は、多くの場合、競争優位の源泉です。もしこれらの情報が競合他社に漏洩すれば、企業は重大な損害を被ります。監査人の守秘義務は、企業の正当な利益を保護する役割を果たしています。

第三に、監査制度に対する信頼の維持です。もし監査人による情報漏洩が頻発すれば、監査制度全体に対する信頼が損なわれます。「監査を受けると情報が漏れる」という認識が広まれば、企業は監査に協力的でなくなり、監査制度そのものが機能不全に陥ります。

第四に、公認会計士という職業の社会的地位の維持です。公認会計士が高い社会的地位と信頼を得ているのは、厳格な職業倫理を遵守しているからです。守秘義務の遵守は、その中核的な要素です。

第五に、インサイダー取引などの不正の防止です。監査証明業務を通じて得た未公表の重要情報を利用して株式取引などを行えば、重大な不正となります。守秘義務は、このような不正を防止する役割も果たしています。

ここで、中堅監査法人のI会計士が経験した、守秘義務の重要性を痛感した事例をご紹介しましょう。

友人からの何気ない質問

I氏は、大学時代の友人と久しぶりに食事をしていました。友人は証券会社のアナリストとして働いています。

友人:「そういえば、I君はX社の監査やってるんだっけ?」

I氏:「ああ、まあ、そうだね」(監査先であることは公開情報)

友人:「X社の業績、実際どうなの?市場では色々噂があるけど」

危険な誘い

I氏は、一瞬答えそうになりましたが、守秘義務を思い出しました。

I氏:「ごめん、それは守秘義務があって話せないんだ」

友人:「そんな堅いこと言わずに。別に誰にも言わないから」

I氏:「いや、本当に無理なんだ。公認会計士法で刑事罰まで規定されているから」

友人の理解

友人は、I氏の真剣な表情を見て、それ以上追及しませんでした。

友人:「そうか、そこまで厳格なんだね。ごめん、軽い気持ちで聞いてしまった」

I氏:「気にしないで。でも、この業界では守秘義務は本当に重要なんだ」

後日の反省

翌日、I氏は監査法人のパートナーに、この出来事を報告しました。

パートナー:「適切な対応だったね。でも、もう一つ気をつけるべきことがある」

I氏:「何でしょうか?」

パートナー:「監査先であることすら、場合によっては開示すべきでない情報なんだ。特に、その情報が公表されていない場合はね」

より深い理解

I氏は、守秘義務の範囲の広さを再認識しました。

I氏:「確かに、X社が当法人の監査を受けていることは有価証券報告書に記載されているから公開情報ですが、それでも安易に話題にすべきではないですね」

パートナー:「その通り。監査証明業務に関わる全ての情報について、慎重に取り扱う姿勢が必要だよ」

教訓の共有

後日、I氏は若手監査人向けの研修で、この経験を共有しました。

I氏:「守秘義務は、想像以上に厳格です。親しい友人からの何気ない質問でも、絶対に答えてはいけません」

若手監査人:「家族にも話してはいけないんですか?」

I氏:「もちろんです。配偶者であっても、守秘義務の例外にはなりません」

この事例が示すように、監査証明業務における守秘義務は、日常生活における会話にも影響を及ぼす、極めて厳格な義務なのです。

「業務上知り得た秘密」の範囲

監査基準では「業務上知り得た秘密」と規定されていますが、具体的にどのような情報が該当するのでしょうか。

第一に、財務情報です。監査の過程で入手する財務諸表、試算表、補助簿、総勘定元帳などの会計情報は、もちろん秘密に該当します。特に、決算発表前の業績情報は、インサイダー取引規制の対象となる重要な未公表情報でもあります。

第二に、事業情報です。企業の経営戦略、事業計画、新製品開発計画、M&A計画、海外展開計画などの情報も秘密に該当します。これらは企業の競争力の源泉であり、漏洩すれば重大な損害を与える可能性があります。

第三に、取引情報です。主要な取引先の名称や取引条件、契約内容、価格情報などの情報も秘密に該当します。特に、大口顧客や重要なサプライヤーの情報は、競合他社にとって極めて価値のある情報です。

第四に、技術情報です。製造技術、ノウハウ、特許出願前の発明、研究開発の進捗状況などの情報も秘密に該当します。

第五に、人事情報です。役員の報酬、人事異動計画、労使交渉の内容などの情報も秘密に該当します。

第六に、法的問題です。訴訟案件、法令違反の疑い、当局との交渉状況などの情報も秘密に該当します。

第七に、内部統制の不備です。監査の過程で発見した内部統制の重大な不備や、過去の不正事案なども秘密に該当します。

さらに重要なのは、これらの情報を組み合わせることで得られる知見も秘密に該当するということです。例えば、個々の財務データは既に公表されていても、それらを分析することで得られる企業の収益性の傾向や、事業部門別の業績などは、秘密に該当する可能性があります。

また、監査の過程そのものに関する情報、例えば、どのような監査手続を実施したか、どのような論点について議論したか、監査時間をどの程度要したかといった情報も、場合によっては秘密に該当します。

守秘義務の例外-「正当な理由」がある場合

監査基準では「正当な理由なく」と規定されており、正当な理由がある場合には、秘密を開示することが許される、あるいは求められることを示唆しています。それでは、どのような場合が「正当な理由」に該当するのでしょうか。

第一に、法令に基づく開示義務がある場合です。例えば、裁判所から証人として出廷を命じられた場合、検察や警察から刑事事件の捜査協力を求められた場合などです。ただし、この場合でも、開示の範囲は必要最小限に留めるべきです。

第二に、監査報告書による開示です。監査証明業務において、監査人が監査報告書に記載する事項は、正当な理由に基づく開示と考えられます。例えば、継続企業の前提に関する重要な不確実性がある場合、監査報告書にその旨を記載しますが、これは守秘義務違反ではありません。

第三に、監査役等とのコミュニケーションです。監査人は、監査の過程で発見した重要な事項を監査役等に報告する義務があります。この報告は、守秘義務の例外として認められています。

第四に、専門家との協議です。監査人が複雑な会計や監査の論点について、監査法人内の専門家や、場合によっては外部の専門家と協議する必要がある場合があります。この場合、必要な範囲で情報を共有することは許されます。ただし、協議相手も守秘義務を負うことが前提です。

第五に、品質管理レビューです。日本公認会計士協会による品質管理レビューや、金融庁による検査において、監査調書やクライアント情報を提示することは、正当な理由に基づく開示と考えられます。

第六に、後任監査人への引継ぎです。監査人が交代する場合、前任監査人は後任監査人に対して必要な情報を提供することが求められます。ただし、この場合でも、クライアント企業の同意を得ることが原則です。

第七に、犯罪の予防や告発です。公認会計士が業務遂行中に犯罪行為を発見した場合、一定の条件下で当局に通報することが認められる場合があります。ただし、この点については慎重な判断が必要です。

重要なのは、これらの例外に該当する場合でも、開示する情報は必要最小限に留め、可能な限りクライアントの利益に配慮すべきということです。

実務における守秘義務の遵守方法

それでは、監査証明業務の実務において、監査人はどのように守秘義務を遵守すべきなのでしょうか。具体的な方法をいくつかご紹介します。

第一に、監査調書の厳格な管理です。監査調書には機密情報が満載されています。紙の監査調書は施錠可能なキャビネットに保管し、電子的な監査調書は暗号化とアクセス制限を設定します。また、監査調書を監査法人外に持ち出す場合には、紛失や盗難のリスクを十分に考慮します。

第二に、公共の場での会話の制限です。電車、カフェ、レストランなど、第三者が聞き取れる可能性がある場所では、クライアントに関する会話を避けます。特に、クライアント企業名を口にすることは、極力避けるべきです。

第三に、電子メールの適切な使用です。機密情報を含むメールは、暗号化して送信します。また、個人のメールアドレスではなく、セキュリティが確保された業務用のメールアドレスを使用します。誤送信にも十分注意します。

第四に、パソコンや書類の画面の保護です。監査法人のオフィスであっても、パソコンの画面を他人から見えないようにする、席を離れる際にはパソコンをロックする、書類を机の上に放置しないなどの注意が必要です。

第五に、家族への情報共有の制限です。配偶者や家族であっても、業務上知り得た秘密を話してはなりません。「今日はどんな仕事をしたの?」という何気ない会話でも、具体的な企業名や内容は避けるべきです。

第六に、SNSでの発信の慎重さです。TwitterやFacebookなどのSNSに、業務に関する情報を投稿することは厳に慎むべきです。たとえ企業名を出さなくても、業種や規模などの情報から特定される可能性があります。

第七に、廃棄文書の適切な処理です。不要になった監査調書や資料を廃棄する際には、シュレッダーで裁断するなど、情報が漏洩しないよう適切に処理します。

第八に、リモートワーク時のセキュリティです。近年増加しているリモートワークにおいては、自宅のネットワークのセキュリティ、家族による覗き見の防止、書類の保管場所など、特別な注意が必要です。

これらの実務的な対策を徹底することで、監査証明業務における守秘義務を適切に遵守することができます。

守秘義務違反のリスクと実例

それでは、もし守秘義務に違反した場合、どのようなリスクが生じるのでしょうか。

第一に、刑事責任です。前述の通り、公認会計士法第52条により、「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」に処される可能性があります。実際に起訴され、有罪判決を受ければ、公認会計士としての社会的信用は完全に失墜します。

第二に、行政処分です。金融庁から業務停止や登録抹消の処分を受ける可能性があります。また、日本公認会計士協会からも懲戒処分を受けます。これらの処分を受けた場合、監査証明業務を継続することは困難になります。

第三に、民事責任です。守秘義務違反によりクライアント企業が損害を被った場合、損害賠償請求を受ける可能性があります。特に、情報漏洩により企業の競争力が損なわれた場合、損害額は巨額に上る可能性があります。

第四に、信用の失墜です。守秘義務違反が報道されれば、当該監査人だけでなく、所属する監査法人全体の評判が著しく損なわれます。クライアントを失い、監査法人の経営が困難になる可能性もあります。

第五に、監査制度全体への影響です。公認会計士による守秘義務違反が頻発すれば、監査制度全体に対する社会の信頼が損なわれます。これは、公認会計士という職業全体の社会的地位の低下につながります。

実際の事例としては、以下のようなケースが報告されています。

ある公認会計士が、監査先企業の業績情報を知人に漏らし、その知人がインサイダー取引を行ったケースでは、公認会計士は刑事訴追を受け、金融庁から登録抹消処分を受けました。また、監査法人も業務改善命令を受け、社会的信用を大きく損ないました。

別のケースでは、監査法人の職員が、監査調書をコピーして外部に持ち出し、競合他社に売却しようとした事件がありました。この職員は刑事訴追を受け、監査法人も厳格な内部管理体制の構築を迫られました。

また、電車の中での不用意な会話により、監査先企業の情報が競合他社の関係者に聞かれてしまったケースもあります。この場合、直ちに刑事責任が問われることはありませんでしたが、クライアントとの信頼関係が損なわれ、監査契約を解除される結果となりました。

これらの事例は、守秘義務の遵守が、理念だけでなく、実務において極めて重要であることを示しています。

当事務所における守秘義務遵守への取り組み

私たち公認会計士事務所においても、守秘義務の遵守を、職業倫理の中核として位置づけ、厳格な管理体制を構築しております。

まず、全職員への定期的な研修実施です。守秘義務の重要性、法的根拠、違反した場合のリスク、実務上の注意点などについて、年間を通じて繰り返し教育しています。

次に、事故発生時の報告体制の整備も行っています。万が一、情報漏洩の可能性がある事象が発生した場合には、直ちに品質管理責任者に報告し、適切な対応を取る体制を整えています。

さらに、守秘義務に関する相談窓口の設置も行っています。守秘義務に関して疑問や懸念を感じた場合には、いつでも相談できる窓口を設置し、適切な助言を提供しています。

当事務所では、「信頼は一日にして成らず、しかし一瞬にして崩れる」という認識のもと、守秘義務の遵守を日々の業務の中で徹底しています。

監査証明業務は、クライアント企業からの絶対的な信頼の上に成り立っています。その信頼の基盤が、守秘義務の厳格な遵守なのです。私たちは、この責任の重さを常に意識し、今後も高い職業倫理を維持してまいります。

監査業務に関するご質問やご相談がございましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。私たちは、厳格な守秘義務の遵守を前提とした高品質な監査証明サービスを提供し、皆様の信頼に応えるべく、誠心誠意サポートさせていただきます。安心して、貴社の機密情報をお預けいただけます。

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投稿者プロフィール

jinzaihaken
jinzaihaken
労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。