監査証明の出発点となる企業理解の重要性
公認会計士が監査証明業務を行うにあたって、監査対象となる企業を深く理解することは、全ての監査手続の前提となります。監査基準第三「実施基準」一「基本原則」の第2項では、監査人が内部統制を含む企業及び企業環境を理解し、事業上のリスクが財務諸表に与える影響を考慮しなければならないことが明確に規定されています。
しかし、「企業理解ってどこまで深く必要なの?」「事業のリスクと監査のリスクはどう関係するの?」「内部統制の理解は何のため?」といった疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで今回は、監査基準第三「実施基準」一「基本原則」の第2項である「企業及び企業環境の理解と事業上のリスク」について、その意義、具体的な内容、実務上の重要性、さらには企業理解が監査証明の品質に与える影響まで、詳しく解説いたします。実際の監査現場での企業理解の事例も交えながら、この規定が効果的な監査の出発点であることをご理解いただければと思います。
監査基準第三 実施基準 一 基本原則 2の条文内容
まず、監査基準において「企業及び企業環境の理解と事業上のリスク」はどのように規定されているのでしょうか。
監査基準第三「実施基準」一「基本原則」の第2項では、「監査人は、監査の実施において、内部統制を含む、企業及び企業環境を理解し、これらに内在する事業上のリスク等が財務諸表に重要な虚偽の表示をもたらす可能性を考慮しなければならない」と定められています。
この条文を丁寧に読み解くと、いくつかの重要な要素が含まれていることがわかります。
第一に、「内部統制を含む、企業及び企業環境を理解し」という要求です。これは、監査人が監査対象企業について、包括的かつ深い理解を得ることを求めています。単に財務数値を見るだけでなく、企業がどのような事業を営み、どのような環境に置かれているのかを理解する必要があるのです。
第二に、「これらに内在する事業上のリスク等」という表現です。ここでいう「事業上のリスク」とは、企業の事業目的の達成を阻害する可能性のある事象や状況を指します。例えば、競合他社の台頭、技術の陳腐化、主要顧客の喪失、規制の変更などが該当します。
第三に、「財務諸表に重要な虚偽の表示をもたらす可能性を考慮しなければならない」という要求です。これは、事業上のリスクが、最終的に財務諸表の誤りにつながる可能性を評価することを求めています。つまり、事業理解は単なる情報収集ではなく、監査証明の品質に直結する監査リスクの評価につながるのです。
この条文が示すように、監査証明業務において、企業及び企業環境の理解は、適切な監査計画を策定し、効果的な監査手続を実施するための不可欠な基盤なのです。
「企業及び企業環境」の理解に含まれる事項
それでは、「企業及び企業環境」の理解には、具体的にどのような事項が含まれるのでしょうか。監査基準委員会報告書315「企業及び企業環境の理解を通じた重要な虚偽表示のリスクの識別と評価」では、以下の事項を理解することが求められています。
第一に、「業界の状況、規制環境その他の外的要因」です。これには、企業が属する業界の特性、市場の動向、競争環境、技術革新の速度、規制当局の監督状況、経済全体の動向などが含まれます。
例えば、製薬業界であれば、新薬開発の長期性と不確実性、特許切れによる後発品との競争、薬事法による厳格な規制などが重要な外的要因です。また、航空業界であれば、燃料価格の変動、安全規制の厳格化、需要の季節変動などが重要です。
第二に、「企業の性質」です。これには、企業の事業内容、製品やサービスの特性、収益構造、主要な顧客や仕入先、事業拠点の地理的分布、組織構造、資金調達の方法などが含まれます。
例えば、製造業であれば、製造プロセスの特性、在庫の性質、原材料の調達方法などを理解する必要があります。サービス業であれば、収益認識の方法、顧客との契約形態、人的資源への依存度などを理解する必要があります。
第三に、「会計方針の選択と適用」です。企業が採用している会計方針、特に重要な会計上の見積りや判断を伴う領域について理解します。例えば、収益認識の方法、棚卸資産の評価方法、固定資産の減価償却方法、引当金の計上基準などです。
第四に、「企業の目的、戦略及びこれらに関連する事業上のリスク」です。経営者のビジョン、中長期経営計画、年度予算、主要な業績指標(KPI)、経営者の報酬体系などを理解します。
特に重要なのは、経営者が設定した目標とその達成状況です。目標未達の状態が続いている場合、経営者には不正な財務報告を行う動機が生じる可能性があります。これは監査証明業務における重要な不正リスク因子となります。
第五に、「企業の業績の測定とレビュー」です。企業が業績をどのように測定し、評価しているのかを理解します。予算と実績の差異分析、事業部門別の業績評価、経営会議での報告内容などが含まれます。
第六に、「内部統制」です。これについては後ほど詳しく解説しますが、企業の内部統制システムの整備状況と運用状況を理解することは、監査証明業務において極めて重要です。
これらの事項を総合的に理解することで、監査人は、企業の事業活動の全体像を把握し、どこに重要な虚偽表示のリスクがあるのかを識別できるようになるのです。
「事業上のリスク」と「重要な虚偽表示のリスク」の関係
監査基準では、「事業上のリスク等が財務諸表に重要な虚偽の表示をもたらす可能性を考慮」することを求めています。それでは、「事業上のリスク」と「重要な虚偽表示のリスク」は、どのような関係にあるのでしょうか。
「事業上のリスク(Business Risk)」とは、企業の事業目的の達成を阻害する可能性のある事象や状況、すなわち、企業の存続や収益性に悪影響を及ぼす可能性のあるリスクを指します。これは、監査人が評価すべきリスクではなく、経営者が管理すべきリスクです。
一方、「重要な虚偽表示のリスク(Risk of Material Misstatement)」とは、財務諸表に重要な誤りが含まれるリスクを指します。これは、監査証明業務において監査人が評価し、対応すべきリスクです。
重要なのは、事業上のリスクが、必ずしも直ちに重要な虚偽表示のリスクになるわけではないということです。しかし、事業上のリスクが適切に識別され、対応されない場合、それが財務諸表の誤りにつながる可能性があります。
例えば、以下のようなケースが考えられます。
ケース1:技術の陳腐化リスク
事業上のリスク:企業が製造している製品の基盤技術が陳腐化し、競合他社の新技術に市場を奪われる可能性がある。
重要な虚偽表示のリスクへの展開
- 製品在庫が販売困難となり、棚卸資産の評価損が必要となる可能性
- 生産設備が遊休化し、固定資産の減損が必要となる可能性
- 経営者が事実を認めたくないという心理から、必要な評価損や減損を計上しない可能性
ケース2:主要顧客への依存リスク
事業上のリスク:売上高の50%を単一の顧客に依存しており、その顧客を失うと事業継続が困難になる。
重要な虚偽表示のリスクへの展開
- 当該顧客への売掛金の回収可能性に疑義が生じる可能性
- 継続企業の前提に重要な疑義が生じる可能性
- 経営者が依存度を低く見せるために、架空の売上を計上する可能性
ケース3:急速な事業拡大のリスク
事業上のリスク:企業が急速に事業を拡大しており、内部管理体制が事業規模に追いついていない。
重要な虚偽表示のリスクへの展開
- 内部統制が有効に機能せず、誤謬や不正が発生する可能性
- 会計処理が複雑化し、誤った会計処理が行われる可能性
- 人員不足により、適切な検証が行われない可能性
ここで、中堅監査法人のK会計士が経験した、事業理解の重要性を示す事例をご紹介しましょう。
新規の製造業クライアント
K氏は、精密機器メーカーの初年度監査を担当することになりました。監査計画の策定段階で、企業及び企業環境の理解に取り組みました。
K氏:「まず、この会社の事業内容を詳しく教えてください」
社長:「当社は、半導体製造装置向けの精密部品を製造しています」
業界環境の理解
K氏は、半導体業界について調査を始めました。
K氏:「半導体業界は、シリコンサイクルと呼ばれる景気循環が激しいですね」
マネージャー:「そうだね。好況期と不況期の落差が大きい。この会社の業績も影響を受けるはず」
主要顧客の調査
K氏は、主要顧客についても調査しました。
K氏:「売上高の分析を見ると、A社向けが全体の60%を占めています」
マネージャー:「かなりの集中だね。A社の動向が、この会社の業績を左右する」
K氏:「A社の最近の業績を調べたところ、前期比で売上が30%減少しています」
事業上のリスクの識別
K氏は、重要な事業上のリスクを識別しました。
K氏:「この会社には、少なくとも二つの重要な事業上のリスクがあります」
マネージャー:「一つは?」 K氏:「シリコンサイクルの下降期に入っている可能性。もう一つは、主要顧客A社への過度な依存です」
財務諸表への影響の検討
K氏は、これらの事業上のリスクが財務諸表にどのような影響を及ぼすかを検討しました。
K氏:「A社向けの売掛金の回収可能性に疑義があるかもしれません」
マネージャー:「それと、在庫も気になるね。需要が減少すれば、在庫の販売可能性が低下する」
K氏:「固定資産の減損の可能性も検討すべきですね。稼働率が低下すれば、収益性が悪化します」
監査計画への反映
K氏は、これらのリスクを監査計画に反映させました。
K氏:「売掛金については、A社への確認に加えて、同社の財務状況を独自に調査します」
マネージャー:「在庫については、実地棚卸の立会を徹底して、滞留在庫や陳腐化の兆候を確認しよう」
K氏:「固定資産の減損テストについては、経営者の見積りを批判的に検討します」
監査の実施と発見
実際に監査を実施したところ、K氏の懸念は的中しました。
K氏:「やはり問題がありました。A社向けの売掛金の一部が、支払期日を大幅に超過しています」
マネージャー:「金額は?」
K氏:「約3億円です。A社の財務状況から判断して、貸倒引当金の追加計上が必要です」
在庫の問題も発覚
さらに、在庫にも問題が見つかりました。
K氏:「実地棚卸の結果、約1年以上動きのない在庫が多数ありました」
マネージャー:「評価損は?」
K氏:「合計で約2億円の評価損が必要と判断しました」
経営者との協議
K氏は、経営者にこれらの問題を指摘しました。
CFO:「確かに、A社の業績悪化が当社にも影響しています」
K氏:「適切な会計処理が必要です。貸倒引当金と棚卸資産評価損の計上をお願いします」
CFO:「分かりました。厳しい決算になりますが、正しい会計処理を行います」
監査終了後の振り返り
監査終了後、K氏はパートナーと振り返りを行いました。
パートナー:「よくやったね。どうやってこれらの問題を発見できたの?」
K氏:「業界環境と主要顧客の状況を詳しく調査したことが鍵でした。事業理解なくして、これらのリスクは識別できなかったと思います」
パートナー:「その通り。監査証明業務において、企業理解は全ての出発点なんだよ」
この事例が示すように、企業及び企業環境の深い理解は、重要な虚偽表示のリスクを識別し、適切な監査手続を実施するための不可欠な基盤なのです。
内部統制の理解の重要性
監査基準では、「内部統制を含む」企業及び企業環境を理解することを求めています。内部統制の理解は、監査証明業務において特に重要な位置を占めています。
「内部統制」とは、企業の業務の有効性及び効率性、財務報告の信頼性、事業活動に関わる法令等の遵守を確保するために、企業内部に構築されるプロセスを指します。
監査人が内部統制を理解する目的は、以下の通りです。
第一に、統制リスクの評価です。内部統制が有効に機能している領域では、統制リスクは低いと評価でき、実証手続の範囲を限定できます。逆に、内部統制に重大な不備がある領域では、統制リスクは高いと評価し、より詳細な実証手続を実施する必要があります。
第二に、監査アプローチの決定です。内部統制に依拠する監査アプローチを採用できるか、それとも内部統制に依拠せず実証手続中心のアプローチを採用すべきかを判断します。
第三に、重要な虚偽表示のリスクの識別です。内部統制の不備は、それ自体が重要な虚偽表示のリスクとなり得ます。
内部統制の理解には、以下の要素が含まれます。
第一に、「統制環境」です。これは、内部統制の基盤となる企業の雰囲気や文化を指します。経営者の誠実性と倫理観、取締役会や監査役等の機能、組織構造、権限と責任の付与、人事方針などが含まれます。
第二に、「リスク評価プロセス」です。企業が、事業目的の達成を阻害するリスクをどのように識別し、評価し、対応しているかを理解します。
第三に、「情報と伝達」です。企業内外の関連情報が、適時に適切な者に伝達される仕組みを理解します。
第四に、「統制活動」です。これは、経営者の指示が実行されることを確保するための方針や手続を指します。例えば、承認手続、検証手続、職務の分離、物理的統制などです。
第五に、「監視活動」です。内部統制が適切に機能しているかを継続的に、あるいは独立的に評価する活動を指します。内部監査の機能などが含まれます。
監査人は、これらの内部統制の要素を理解し、その整備状況と運用状況を評価することで、監査証明業務において適切な監査アプローチを決定できるのです。
企業理解の方法-質問、観察、検証
それでは、監査人は具体的にどのような方法で企業及び企業環境を理解するのでしょうか。主な方法は以下の通りです。
第一に、「質問」です。経営者、財務責任者、内部監査人、事業部門の責任者などに対して質問し、情報を入手します。質問は、単に「はい」「いいえ」で答えられる閉じた質問ではなく、説明を求める開かれた質問が効果的です。
第二に、「分析的手続」です。財務データや非財務データの趨勢分析、比率分析、予算と実績の差異分析などを実施し、異常な変動や予期しない関係を識別します。
第三に、「観察」です。企業の事業所や工場を訪問し、実際の事業活動を観察します。製造プロセス、在庫の保管状況、従業員の働きぶりなどを直接見ることで、質問だけでは得られない理解が得られます。
第四に、「閲覧」です。企業の戦略文書、議事録、契約書、内部統制マニュアル、業績報告書などの文書を閲覧します。
第五に、「ウォークスルー」です。取引が開始から終了まで、どのように処理されるかを、実際の取引を一つ選んで追跡します。これにより、内部統制の整備状況と運用状況を理解できます。
第六に、「外部情報の入手」です。業界誌、アナリストレポート、競合他社の情報、規制当局の公表資料などから情報を入手します。
これらの方法を組み合わせることで、監査人は企業及び企業環境について、十分かつ適切な理解を得ることができます。
継続監査における企業理解の更新
監査証明業務は、通常、毎年継続して実施されます。継続監査においては、前年度に得た企業理解を基礎としつつ、変化した事項を更新することが重要です。
具体的には、以下のような事項について、変更の有無を確認します。
第一に、事業内容や組織構造の変更です。新規事業の開始、事業の売却、M&A、組織再編などがあったかを確認します。
第二に、経営者や主要な人員の交代です。社長やCFOの交代、経理部門の責任者の交代などは、統制環境に影響を与える可能性があります。
第三に、会計方針や会計上の見積りの変更です。収益認識基準の変更、減価償却方法の変更、引当金の見積方法の変更などを確認します。
第四に、業界環境や規制環境の変更です。新しい規制の導入、業界再編、技術革新などを確認します。
第五に、内部統制の変更です。会計システムの変更、内部統制の改善または不備の発生などを確認します。
継続監査においても、企業理解の更新を怠ると、変化した事項に起因するリスクを見逃す可能性があります。したがって、毎年度、企業理解を更新することが重要なのです。
当事務所における企業理解への取り組み
私たち公認会計士事務所においても、企業及び企業環境の深い理解を、高品質な監査証明業務の基盤として位置づけています。
まず、初年度監査における徹底した企業理解です。新規にクライアントを受託した場合、監査開始前に十分な時間をかけて企業理解を行います。経営者や事業部門責任者との面談、事業所や工場の視察、内部資料の閲覧などを実施します。
加えて、経営者や監査役等との定期的なコミュニケーションも重視しています。四半期ごとに経営者と面談し、事業環境の変化、新たな事業リスク、会計上の論点などについて情報交換を行います。
当事務所では、「企業を知らずして、適切な監査証明はできない」という認識のもと、企業理解に十分な資源を投入しています。
監査証明業務において、企業及び企業環境の理解は、単なる予備的な作業ではなく、監査の成否を左右する重要なプロセスです。私たちは、深い企業理解に基づく効果的な監査により、高品質な監査証明サービスを提供してまいります。
監査業務に関するご質問やご相談がございましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。私たちは、貴社の事業を深く理解した上で、適切な監査証明サービスを提供し、皆様の信頼に応えるべく、誠心誠意サポートさせていただきます。
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投稿者プロフィール

- 労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。
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