監査基準における「不正リスクへの対応」とは何か?
公認会計士が監査業務を行うにあたって、近年特に重視されているのが「不正リスクへの対応」です。監査基準第二「一般基準」の4では、監査人が財務諸表における不正の可能性を考慮し、適切に対応しなければならないことが明確に規定されています。
しかし、「監査人は不正を発見する責任があるの?」「経営者による不正と従業員による不正、どちらが重要?」「違法行為と不正って何が違うの?」といった疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。特に、監査の目的は「不正の摘発」ではなく「財務諸表の適正性の保証」であるという説明を聞いたことがある方にとって、監査人の不正に対する責任の範囲は、理解しにくい部分があるかもしれません。
そこで今回は、監査基準第二「一般基準」の4である「不正リスクへの対応」について、その意義、具体的な内容、実務上の重要性、さらには監査人の責任範囲まで、詳しく解説いたします。実際の監査現場での不正発見事例も交えながら、この規定が監査の社会的使命を体現する重要な原則であることをご理解いただければと思います。
監査基準第二 一般基準 4「不正リスクへの対応」の内容
まず、監査基準において「不正リスクへの対応」はどのように規定されているのでしょうか。
監査基準第二「一般基準」の4では、「監査人は、財務諸表の利用者に対する不正な報告あるいは資産の流用の隠蔽を目的とした重要な虚偽の表示が、財務諸表に含まれる可能性を考慮しなければならない。また、違法行為が財務諸表に重要な影響を及ぼす場合があることにも留意しなければならない」と定められています。
この条文を丁寧に読み解くと、三つの重要な要素が含まれていることがわかります。第一に、「不正な報告」への対応です。これは、いわゆる「粉飾決算」を指します。経営者が意図的に財務諸表を歪めることで、企業の業績や財政状態を実態よりも良く見せようとする行為です。
第二に、「資産の流用の隠蔽」への対応です。これは、経営者や従業員が企業の資産を不正に取得し、その事実を財務諸表上で隠蔽する行為を指します。横領や着服などがこれに該当します。
第三に、「違法行為」への留意です。これは、企業が法令に違反する行為を行い、それが財務諸表に重要な影響を及ぼす可能性がある場合を指します。例えば、重大な環境汚染を引き起こした場合の損害賠償責任や、独占禁止法違反による課徴金などが該当します。
この条文が示すように、監査基準は監査人に対して、単に誤謬(意図的でない誤り)だけでなく、不正(意図的な虚偽表示)についても適切に対応することを求めています。これは、監査が社会の信頼を維持するために、不正リスクに対しても十分な注意を払わなければならないという、監査制度の根本的な要請なのです。
「不正」と「誤謬」の違い、そして不正の二つの類型
監査において、「不正」と「誤謬」は明確に区別されます。この違いを理解することが、不正リスクへの対応を考える上で極めて重要です。
「誤謬(Error)」とは、意図的でない財務諸表の虚偽表示を指します。例えば、会計基準の理解不足による誤った会計処理、計算ミス、データ入力の誤り、内部統制の不備による見落としなどが該当します。誤謬は、悪意なく発生する誤りであり、発見されれば素直に訂正されることが通常です。
一方、「不正(Fraud)」とは、意図的な行為による財務諸表の虚偽表示を指します。不正には明確な意図があり、多くの場合、それを隠蔽するための工作が伴います。例えば、証拠書類の偽造、取引記録の改ざん、共謀による隠蔽などです。
監査基準では、不正を二つの類型に分類しています。第一の類型は、「不正な財務報告(Fraudulent Financial Reporting)」です。これは、財務諸表の利用者を欺くことを目的として、財務諸表を意図的に虚偽表示することを指します。いわゆる「粉飾決算」がこれに該当します。
不正な財務報告の典型的な手口としては、架空売上の計上、収益認識時期の不適切な操作、費用や負債の過少計上、資産の過大評価、開示の意図的な省略などがあります。これらは主に経営者主導で行われることが多く、「経営者不正」とも呼ばれます。
第二の類型は、「資産の流用(Misappropriation of Assets)」です。これは、企業の資産を不正に取得することを指します。横領、着服、窃盗などがこれに該当します。資産の流用は、経営者だけでなく、従業員によっても行われます。
資産の流用の典型例としては、現金や預金の着服、在庫商品の窃盗、経費の水増し請求、架空の仕入先への支払いなどがあります。これらは比較的小規模なものから、組織的な大規模なものまで、様々な形態があります。
この二つの類型のうち、財務諸表全体に与える影響が大きいのは、通常、不正な財務報告です。なぜなら、経営者は財務報告プロセスを統制する立場にあり、内部統制を無効化する能力を持っているため、不正の規模が大きくなりやすいからです。したがって、監査においては、経営者による不正リスクに特に注意を払う必要があるのです。
監査人の不正発見責任の範囲と限界
それでは、監査人は不正を発見する責任があるのでしょうか。この問いに対する答えは、「財務諸表に重要な影響を及ぼす不正については、合理的な保証を提供する責任がある」というものです。
ここで重要なのは、「合理的な保証(Reasonable Assurance)」という概念です。これは、絶対的な保証ではなく、高い水準ではあるが100%ではない保証を意味します。監査は、試査(サンプリング)を基礎として実施されるため、全ての取引や残高を詳細に調べることはできません。また、不正は本質的に隠蔽を伴うため、たとえ適切に監査を実施したとしても、発見できない可能性が残ります。
特に、経営者が組織的に共謀し、証拠書類を偽造し、内部統制を無効化するような巧妙な不正は、発見が極めて困難です。監査基準も、このような監査の固有の限界を認識しており、監査人に対して「全ての不正を発見すること」を求めてはいません。
しかし、だからといって、監査人が不正に対して無関心でいいわけではありません。監査基準が求めているのは、監査人が「職業的懐疑心」を保持し、不正の可能性を常に念頭に置き、不正リスクの高い領域については特別な注意を払って監査を実施することです。
具体的には、監査人は以下のような責任を負っています。第一に、不正リスクの評価です。監査計画の策定段階で、財務諸表のどの領域に不正リスクがあるのかを識別し、評価しなければなりません。
第二に、不正リスクへの対応手続の実施です。識別した不正リスクに対して、適切な監査手続を立案し、実施しなければなりません。例えば、経営者による内部統制の無効化リスクに対応するため、通常とは異なる項目をサンプルとして選択したり、予測可能性の低い監査手続を実施したりします。
第三に、不正の兆候への適切な対応です。監査の過程で不正の兆候を発見した場合、それを見逃すことなく、追加的な調査を実施し、その影響を評価しなければなりません。
第四に、適切なコミュニケーションです。不正または不正の疑いを発見した場合、適切な者(経営者、監査役等、場合によっては監督官庁)に報告し、是正を促す必要があります。
ここで、中堅監査法人のE会計士が経験した不正発見の事例をご紹介しましょう。E氏は、ある中堅商社の監査を担当していました。
データ分析での異常値検知
E氏は、売掛金の監査において、データ分析ツールを使用して全取引データを分析していました。
E氏:「この取引先への売上、異常に多いですね。月末に集中しているのも不自然です」
監査チームメンバー:「営業部門に確認してみましょうか」
営業担当者へのヒアリング
営業担当者に確認したところ、意外な反応がありました。
営業担当:「えっ?そんなに売上が上がってるんですか? 実は、その取引先、最近あまり取引がないんですけど」
E氏:「それはおかしいですね。経理部門に詳細を確認させてください」
証憑の精査
E氏は、該当取引の証憑書類を詳細に確認しました。すると、いくつかの不審な点が見つかりました。
E氏:「この納品書、フォーマットが他のものと違いますね。それに、取引先の押印も不鮮明です」
経理担当:「これは・・・。営業部長から直接受け取って処理したものです」
取引先への確認
E氏は、監査手続として、取引先に直接確認状を送付しました。
数日後、取引先から回答が届きました:「該当する取引の記録はありません」
不正の発覚
E氏は、監査チームのパートナーとともに、営業部長に事情を聴きました。
営業部長:「申し訳ありません...実は架空売上を計上していました」
E氏:「なぜそのようなことを?」
営業部長:「業績目標を達成するプレッシャーが・・・。でも、来期に返品処理するつもりでした」
調査の拡大
E氏の調査により、営業部長が過去2年間にわたって、複数の架空取引を計上していたことが判明しました。総額は約5億円に上り、財務諸表全体に重要な影響を及ぼす不正でした。
経営陣への報告と対応
E氏とパートナーは、直ちに社長と監査役に報告しました。
社長:「まさか、うちの会社で...信じられません」
E氏:「過年度の財務諸表も修正が必要です。また、内部統制の見直しも必要でしょう」
適切な会計処理への修正
企業は、過年度決算の訂正を行い、有価証券報告書の訂正報告書を提出しました。営業部長は懲戒解雇となり、刑事告訴も検討されることになりました。
後日、パートナーとの振り返り:
パートナー:「よく見つけたね。決め手は何だった?」
E氏:「データ分析で異常値を検出したのがきっかけです。でも、決定的だったのは営業担当者の反応でした」
パートナー:「職業的懐疑心と、丁寧な裏付け調査。教科書通りの不正発見だよ」
この事例が示すように、監査人は不正の可能性を常に念頭に置き、異常な兆候を見逃さず、徹底的に調査することで、重要な不正を発見できるのです。
不正リスク因子と不正のトライアングル
監査人が不正リスクを評価する際に重要となるのが、「不正リスク因子」と「不正のトライアングル」という概念です。
「不正リスク因子」とは、不正が発生する可能性を高める状況や事象を指します。監査基準委員会報告書240「財務諸表監査における不正」では、多数の不正リスク因子が例示されています。
例えば、経営者に対する過度な業績圧力(上場維持基準ギリギリ、融資契約の財務制限条項、アナリストの業績予想など)、急速な成長や高収益性の維持への市場の期待、経営者の報酬が業績に強く連動している、内部統制の不備、経営者の誠実性に対する疑問、複雑な組織構造や関連当事者取引の多さなどが、不正リスク因子として挙げられています。
また、「不正のトライアングル」という理論も、不正リスクの理解に役立ちます。これは、不正が発生するためには三つの要素が揃う必要があるという考え方です。
第一の要素は、「動機・プレッシャー(Incentive/Pressure)」です。不正を行う理由や圧力が存在することを指します。例えば、業績目標の未達、個人的な財務問題、ギャンブルや借金などです。
第二の要素は、「機会(Opportunity)」です。不正を実行し、それを隠蔽できる環境が存在することを指します。例えば、内部統制の不備、監視の欠如、職務の過度な集中などです。
第三の要素は、「姿勢・正当化(Attitude/Rationalization)」です。不正行為を正当化する心理的態度を指します。例えば、「一時的な借用だから問題ない」「会社のためにやっている」「自分の貢献に見合った報酬を得ているだけ」といった自己正当化です。
監査人は、これら三つの要素が揃っている状況を識別し、特に注意深く監査を実施する必要があります。逆に言えば、不正を防止するためには、この三つの要素のいずれかを除去または低減することが有効なのです。
違法行為と監査人の対応
監査基準第二 一般基準 4では、「違法行為が財務諸表に重要な影響を及ぼす場合があることにも留意しなければならない」と規定されています。それでは、「違法行為」とは何であり、監査人はどのように対応すべきなのでしょうか。
「違法行為」とは、企業が法令や規制に違反する行為を指します。例えば、独占禁止法違反(カルテル、入札談合など)、贈収賄、脱税、環境法令違反、労働法令違反、製品安全規制違反などが該当します。
これらの違法行為は、直接的には財務諸表の項目ではありませんが、発覚した場合には、罰金、課徴金、損害賠償、事業停止などの形で、企業の財務諸表に重要な影響を及ぼす可能性があります。また、違法行為が明るみに出れば、企業の評判は著しく損なわれ、継続企業の前提に疑義が生じることもあります。
監査人は、法律の専門家ではないため、全ての法令違反を発見する責任はありません。しかし、監査の過程で違法行為またはその疑いを発見した場合、それが財務諸表に及ぼす影響を評価し、適切に対応する必要があります。
具体的には、以下のような対応が求められます。第一に、違法行為の性質と状況の把握です。どのような違法行為なのか、いつから行われているのか、企業内での認識状況などを確認します。
第二に、財務諸表への影響の評価です。違法行為が発覚した場合の罰金や損害賠償の見積もり、引当金計上の必要性、偶発債務としての開示の必要性などを検討します。
第三に、経営者及び監査役等への報告です。違法行為またはその疑いを発見した場合、速やかに適切な者に報告し、是正措置を促します。
第四に、監査意見への影響の検討です。違法行為が財務諸表に適切に反映されていない場合、または継続企業の前提に重大な疑義を生じさせる場合には、監査意見に影響を与える可能性があります。
例えば、建設会社が長年にわたって入札談合を行っていた場合、将来的に巨額の課徴金や損害賠償が発生する可能性があります。監査人は、このリスクが適切に引当金として計上されているか、あるいは偶発債務として開示されているかを確認しなければなりません。
不正リスクへの対応における実務上の課題
不正リスクへの対応は、理論的には明確ですが、実務上は多くの課題があります。
第一の課題は、不正の隠蔽性です。不正は本質的に隠蔽を伴うため、通常の監査手続では発見が困難な場合があります。特に、経営者が組織的に共謀し、証拠書類を偽造している場合、外部の監査人が発見することは極めて困難です。
第二の課題は、経営者不正への対応の難しさです。経営者は内部統制を無効化する能力を持っているため、通常の内部統制に依拠した監査手続では、経営者による不正を発見できません。監査人は、経営者による内部統制の無効化を想定した特別な監査手続を実施する必要があります。
第三の課題は、職業的懐疑心の維持の難しさです。クライアントとの関係が長くなると、どうしても信頼関係が構築され、経営者の説明を批判的に検討する姿勢が弱まりがちです。常に適度な緊張感を保つことが必要です。
第四の課題は、不正の兆候の見極めの難しさです。ある事象が単なる誤謬なのか、不正の兆候なのかを判断することは容易ではありません。過度に疑い深くなると、監査が非効率になり、クライアントとの関係も悪化します。適切なバランスが必要です。
第五の課題は、監査時間と費用の制約です。不正リスクに十分に対応するためには、より多くの監査時間と、より高度な専門家の関与が必要になります。しかし、監査報酬には限りがあり、無制限に時間をかけることはできません。
これらの課題に対応するため、監査実務では様々な工夫が行われています。例えば、データ分析技術の活用による異常取引の自動検出、不正リスク評価の精緻化、不正に関する研修の充実、監査チーム内でのブレインストーミングの実施などです。
当事務所における不正リスクへの対応体制
私たち公認会計士事務所においても、不正リスクへの対応を監査品質管理の重要課題として位置づけ、様々な取り組みを実施しております。
まず、監査計画段階での不正リスク評価の徹底です。全ての監査において、監査チーム全体でブレインストーミングを実施し、不正リスクの可能性がある領域を識別します。この際、過去の不正事例や業界特有のリスクも参考にしながら、網羅的に検討します。
次に、不正対応監査手続の標準化です。経営者による内部統制の無効化リスクに対応するため、標準的な監査手続(仕訳の詳細テスト、会計上の見積りの批判的検討、異常な取引の調査など)を定め、全ての監査で実施するようにしています。
さらに、データ分析技術の積極的活用も行っています。会計データ全体を分析し、異常なパターンや外れ値を検出することで、不正の兆候を早期に発見できる可能性が高まります。
当事務所では、「不正を発見することが目的ではないが、不正を見逃すことは許されない」という認識のもと、全ての監査人が高い職業的懐疑心を保持し、不正リスクに適切に対応できるよう、今後も継続的に取り組んでまいります。
もちろん、監査には固有の限界があり、全ての不正を発見できるわけではありません。しかし、私たちは、合理的に発見可能な不正については決して見逃さないという強い決意を持って、日々の監査業務に取り組んでおります。
監査業務に関するご質問やご相談がございましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。私たちは、不正リスクに対する適切な対応を含め、高品質な監査サービスを提供し、皆様の信頼に応えるべく、誠心誠意サポートさせていただきます。
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投稿者プロフィール

- 労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。
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