監査基準における「監査調書」とは何か?

公認会計士が監査業務を行うにあたって、その実施内容と判断過程を記録することは極めて重要です。監査基準第二「一般基準」の5では、監査人が監査計画、実施内容、判断過程を監査調書として保存しなければならないことが明確に規定されています。

しかし、「監査調書って具体的にどんなもの?」「なぜそんなに詳細に記録する必要があるの?」「監査が終わったら捨ててもいいんじゃないの?」といった疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。特に、監査実務の経験が浅い方にとって、膨大な監査調書を作成する意義や、その重要性を実感することは難しいかもしれません。

そこで今回は、監査基準第二「一般基準」の5である「監査調書」について、その意義、具体的な内容、実務上の重要性、さらには監査調書が果たす多面的な役割まで、詳しく解説いたします。実際の監査現場での事例も交えながら、監査調書が監査品質の根幹を支える不可欠な要素であることをご理解いただければと思います。

監査基準第二 一般基準 5「監査調書」の内容

まず、監査基準において「監査調書」はどのように規定されているのでしょうか。

監査基準第二「一般基準」の第5項では、「監査人は、監査計画及びこれに基づき実施した監査の内容並びに判断の過程及び結果を記録し、監査調書として保存しなければならない」と定められています。

この条文を丁寧に読み解くと、監査調書に含めるべき内容として、四つの重要な要素が明示されていることがわかります。

第一に、「監査計画」です。これは、監査をどのように実施するかという計画段階での検討内容を指します。監査リスクの評価、重要性の基準値の決定、監査手続の立案、監査チームの編成、監査スケジュールなどが含まれます。

第二に、「実施した監査の内容」です。これは、実際にどのような監査手続を実施したかという記録を指します。いつ、誰が、どのような手続を、どの範囲で実施したのか、その結果どのような証拠を入手したのかを詳細に記録します。

第三に、「判断の過程」です。これは、監査人が様々な判断を行う際に、どのような要素を考慮し、どのような思考プロセスを経て結論に至ったのかという過程の記録を指します。特に、重要な判断や複雑な判断については、その根拠や理由を明確に文書化することが求められます。

第四に、「判断の結果」です。これは、監査人が最終的にどのような結論に至ったのか、その結論は監査意見にどのように反映されたのかという結果の記録を指します。

そして、これらを「監査調書として保存しなければならない」と規定されています。これは、監査調書が単なる作業メモではなく、監査の証拠として一定期間保存すべき正式な文書であることを意味しています。

監査基準委員会報告書230「監査調書」では、監査調書の保存期間は、原則として監査報告書日から10年間と定められています。この長期間の保存義務は、監査調書が持つ重要性を物語っています。

監査調書の本質的な意義と目的

それでは、なぜ監査人は詳細な監査調書を作成し、長期間保存しなければならないのでしょうか。監査調書には、以下のような本質的な意義と目的があります。

第一に、監査の証拠としての機能です。監査調書は、監査人が監査基準に準拠して適切に監査を実施したことを示す証拠となります。もし監査の品質について疑義が生じた場合、あるいは訴訟に発展した場合、監査調書が唯一の客観的証拠となります。「適切な監査を実施しました」と口頭で主張しても、監査調書という裏付けがなければ、その主張は認められません。

第二に、監査意見の根拠の明示です。監査人が表明する監査意見は、十分かつ適切な監査証拠に基づいていなければなりません。監査調書は、どのような監査証拠を入手し、どのように評価した結果として監査意見に至ったのかを示す、いわば「監査意見の設計図」なのです。

第三に、監査の品質管理機能です。監査調書は、上位者によるレビューの対象となります。監査チームの責任者や品質管理レビュアーは、監査調書を検討することで、監査手続が適切に実施されているか、判断が合理的かを評価します。詳細で明瞭な監査調書があって初めて、効果的な品質管理が可能になるのです。

第四に、監査の継続性と引継ぎの機能です。監査は通常、毎年継続して実施されます。前年度の監査調書を参照することで、効率的に当年度の監査計画を策定できます。また、監査担当者が交代する場合にも、監査調書があれば、スムーズに引継ぎを行うことができます。

第五に、外部検査への対応機能です。日本公認会計士協会の品質管理レビューや、金融庁の検査においては、監査調書が主要な検査対象となります。監査調書が適切に作成・保存されていなければ、監査法人や監査人個人が厳しい指摘を受けることになります。

第六に、説明責任の履行機能です。監査人は、監査役等や経営者に対して、監査の実施状況や発見事項を報告する責任があります。監査調書があることで、これらのコミュニケーションを正確かつ効果的に行うことができます。

これらの目的を総合すると、監査調書は単なる「作業の記録」ではなく、監査という専門的サービスの品質を担保し、監査人の職業的責任を果たすための不可欠なインフラであることがわかります。

監査調書に含めるべき具体的内容

それでは、監査調書には具体的にどのような内容を記載すべきなのでしょうか。監査基準委員会報告書230では、監査調書に含めるべき事項が詳細に規定されています。

第一に、監査の対象と範囲に関する情報です。被監査企業の名称、対象となる会計期間、監査の目的、監査対象となる財務諸表項目などを明記します。

第二に、監査計画に関する情報です。全体的な監査戦略、詳細な監査計画、リスク評価の結果、重要性の基準値、監査チームの編成と役割分担などを記録します。

第三に、実施した監査手続の詳細です。具体的には、実施した監査手続の性質・時期・範囲、監査手続を実施した者の識別情報、監査手続の実施日、監査手続により入手した監査証拠の内容などを記載します。

例えば、「売掛金の実在性を確認するため、×年×月×日に、担当者○○が、売掛金残高上位10社(全体の60%)に対して残高確認状を送付し、全社から回答を入手した。回答内容と帳簿残高は全て一致していた」といった具合に、具体的かつ詳細に記録します。

第四に、職業的専門家としての判断に関する情報です。特に重要な判断や困難な判断については、判断に至った思考プロセス、考慮した要素、結論とその根拠を詳細に記録します。

例えば、会計上の見積りの合理性を評価する際には、「経営者が採用した仮定、監査人が独自に行った見積りの結果、両者の差異分析、差異が許容範囲内と判断した理由」などを記載します。

第五に、監査上の重要な事項に関する協議の記録です。監査チーム内での協議、経営者や監査役等との協議、専門家との協議などについて、協議の日時、参加者、議題、結論などを記録します。

第六に、例外事項とその対応に関する情報です。監査の過程で発見した例外事項(期待値との差異、不一致、異常な取引など)について、その内容、原因分析、追加的に実施した監査手続、最終的な結論などを記録します。

第七に、入手した証拠資料です。契約書のコピー、確認状の回答、経営者確認書、分析資料、議事録など、監査の過程で入手した重要な証拠資料を監査調書に含めます。

ここで、中堅監査法人のF会計士が経験した、監査調書の重要性を痛感した事例をご紹介しましょう。

引継ぎ監査での困惑

F氏は、前任の監査法人から引き継いだクライアント企業の初年度監査を担当することになりました。

F氏:「前任の監査法人から監査調書の引継ぎを受けましたが、内容が薄いですね」

パートナー:「どのくらい?」

F氏:「重要な会計上の見積りについて、『経営者の説明を聴取し、合理的と判断した』としか書いていません」

前年度の判断根拠が不明

F氏が特に困ったのは、ある大型の工事契約の収益認識でした。

F氏:「この工事、進行基準を適用していますが、進捗度の見積りが適切かどうか、前任監査人がどう判断したのか全く分かりません」

経理部長:「前の監査法人の先生は、『これで大丈夫です』と言ってくれたんですけど...」

ゼロからの検証作業

結局、F氏は前任監査人の判断を信頼することができず、ゼロから検証作業を行うことになりました。

F氏:「工事現場に行って、実際の進捗状況を確認させてください」

経理部長:「前の監査法人は現場に来たことなかったですけど」

問題の発見

現場視察と詳細な分析の結果、F氏は重大な問題を発見しました。

F氏:「進捗度の見積りが過大です。実際の工事の進み具合と乖離しています」

経理部長:「えっ、でも前の監査法人は問題ないと」

F氏:「前任監査人の監査調書には、検証過程が全く記載されていません。おそらく十分な検証をしていなかったのでしょう」

大幅な修正

結果として、過年度の収益認識に誤りがあったことが判明し、当期に過年度損益修正を計上することになりました。

社長:「前の監査法人は何を見ていたんだ」

F氏:「申し訳ございません。ただ、今回しっかり見直したことで、適切な会計処理になりました」

教訓の共有

監査終了後、F氏は監査法人内の研修で、この経験を共有しました。

F氏:「監査調書は、自分の判断を将来の自分や後任者に説明するためのものです。『大丈夫だろう』という感覚だけで記録を残さないことの危険性を痛感しました」

若手監査人:「監査調書の作成って、面倒だと思っていましたが、こんなに重要なんですね」

この事例が示すように、監査調書は監査人の判断の根拠を示す唯一の証拠であり、将来の検証可能性を担保する重要な記録なのです。

「経験豊富な監査人による理解可能性」という基準

監査調書の作成にあたって重要な基準の一つが、「経験豊富な監査人による理解可能性」です。これは、監査基準委員会報告書230で明示されている基準であり、監査調書の品質を評価する際の重要な指標となります。

この基準が意味するのは、監査調書は、当該監査に従事していない経験豊富な監査人が読んだときに、以下の事項を理解できるように作成されなければならないということです。

第一に、実施した監査手続の性質・時期・範囲を理解できることです。具体的に何を、いつ、どの程度実施したのかが明確でなければなりません。

第二に、監査手続の実施結果と入手した監査証拠を理解できることです。監査手続により何が判明したのか、どのような証拠が得られたのかが明確でなければなりません。

第三に、監査上の重要な事項とそれに対する結論、及び結論に至った重要な職業的専門家としての判断を理解できることです。なぜそのような結論に至ったのか、どのような要素を考慮したのかが明確でなければなりません。

この「経験豊富な監査人」とは、必ずしも当該業界や当該企業の専門家である必要はありませんが、同程度の監査経験を有し、監査基準や会計基準を理解している監査人を想定しています。

つまり、監査調書は、作成者本人だけが理解できる「個人的なメモ」であってはならず、第三者が読んでも理解できる「公式な文書」でなければならないのです。これは、監査調書が品質管理レビューや外部検査の対象となることを考えれば、当然の要求と言えるでしょう。

実務上、この基準を満たすためには、以下のような工夫が必要です。第一に、明確で簡潔な文章表現です。専門用語を適切に使用しつつ、誰が読んでも理解できる明瞭な文章で記述します。

第二に、適切な参照関係の明示です。関連する他の監査調書や証拠資料への参照を明記し、監査調書間の関連性を明確にします。

第三に、結論に至る論理の明示です。特に重要な判断については、考慮した要素を列挙し、それぞれをどう評価した結果として結論に至ったのかを、論理的に説明します。

第四に、標準的なフォーマットの使用です。監査法人では通常、標準化された監査調書のフォーマットを用意しており、これを使用することで、記載内容の網羅性と理解可能性が確保されます。

監査調書の作成タイミングと適時性の原則

監査調書は、いつ作成すべきなのでしょうか。結論から申し上げると、監査手続を実施した時点で、できる限り速やかに作成すべきです。これを「適時性の原則」と呼びます。

監査基準委員会報告書230では、監査調書は監査手続の実施中または実施直後に、適時に作成しなければならないと規定されています。なぜなら、時間が経過すると、監査手続の詳細や判断の根拠を正確に記憶していることが困難になるからです。

例えば、ある取引先への往査を実施した場合、その日のうちに往査の目的、実施した手続、確認した事項、得られた証拠、発見した例外事項、結論などを記録すべきです。数週間後に「あの時何を確認したんだっけ?」と思い出しながら作成した監査調書は、正確性に欠ける可能性があります。

また、監査の過程で重要な判断を行った場合、その判断の根拠となった要素や思考プロセスを、判断した時点で記録すべきです。後から「たしかこんな理由で判断したはず」と再構成した記録は、実際の判断過程を正確に反映していない可能性があります。

さらに、適時に監査調書を作成することは、監査の効率性にも寄与します。監査調書を通じて、上位者が進捗状況を把握し、タイムリーにレビューを行い、必要に応じて監査計画を修正することができるからです。

ただし、監査調書の作成タイミングについて、一つ重要な注意点があります。それは、監査報告書日以降の監査調書の追加・修正には厳格な制限があるということです。

監査基準委員会報告書230では、監査報告書日後に監査調書を追加・修正する場合には、追加・修正した理由、追加・修正を行った者と日付、レビューした者と日付などを記録しなければならないと規定されています。これは、監査報告書日時点で監査は完了しており、その後に監査調書を改変することは、監査の証拠としての信頼性を損なう可能性があるためです。

監査調書の保存と守秘義務

監査調書は、作成した後、適切に保存しなければなりません。監査基準委員会報告書230では、監査調書の保存期間は、原則として監査報告書日から10年間と定められています。

この10年間という期間は、以下のような理由により設定されています。第一に、法的請求権の時効との関係です。民事訴訟において、監査人の責任を問う請求権は、通常10年で時効となります。したがって、訴訟に備えて、監査調書を10年間保存する必要があるのです。

第二に、品質管理レビューや監督官庁の検査への対応です。これらの検査では、過去数年分の監査調書が検査対象となることがあります。適切に保存されていなければ、検査に対応できません。

第三に、継続監査における参照の必要性です。特に、長期的な会計上の見積りや、複数年度にわたる取引については、過去の監査調書を参照する必要が生じることがあります。

監査調書の保存にあたっては、以下のような点に注意が必要です。第一に、物理的な保存の安全性です。紙の監査調書であれば、施錠可能な保管庫に保存し、火災や盗難から保護します。電子的な監査調書であれば、適切なバックアップとアクセス制限を設定します。

第二に、守秘義務の遵守です。監査調書には、クライアント企業の機密情報が多数含まれています。監査基準第二 一般基準 8では、「監査人は、業務上知り得た秘密を正当な理由なく他に漏らし、又は窃用してはならない」と規定されています。監査調書の保管にあたっては、この守秘義務を厳格に遵守しなければなりません。

第三に、監査調書へのアクセス管理です。監査調書は、業務上必要な者のみがアクセスできるよう、適切な管理を行います。特に、電子的な監査調書については、ユーザーIDとパスワードによるアクセス制限、アクセスログの記録などの対策が必要です。

第四に、監査調書の廃棄手続です。保存期間が経過した監査調書を廃棄する際には、機密情報の漏洩を防ぐため、シュレッダーによる裁断や、専門業者による機密文書処理などの方法を用いる必要があります。

電子監査調書の普及と新たな課題

近年、監査実務においては、紙の監査調書から電子監査調書への移行が急速に進んでいます。電子監査調書には、以下のような利点があります。

第一に、効率性の向上です。データの自動取込み、計算の自動化、監査手続の標準化などにより、監査調書の作成時間を大幅に削減できます。

第二に、レビューの効率化です。電子的に監査調書を共有することで、上位者がリアルタイムでレビューを行い、コメントをフィードバックできます。

第三に、検索性の向上です。膨大な監査調書の中から、必要な情報を迅速に検索できます。

第四に、保存スペースの削減です。物理的な保管スペースが不要となり、コスト削減につながります。

第五に、監査証拠の統合管理です。PDFファイルなどの電子証拠を監査調書に直接添付でき、証拠の管理が容易になります。

しかし、電子監査調書には、新たな課題も生じています。第一に、データセキュリティのリスクです。サイバー攻撃やデータ漏洩のリスクに対して、適切なセキュリティ対策が必要です。

第二に、システム障害のリスクです。システムダウンやデータ消失に備えて、適切なバックアップ体制が必要です。

第三に、監査調書の改変リスクです。電子データは物理的な痕跡を残さずに改変できるため、改変履歴を記録する機能が必要です。

第四に、長期保存の技術的課題です。10年間という長期間にわたって、電子データとそれを読み取るシステムを維持する必要があります。技術の陳腐化により、将来読み取れなくなるリスクもあります。

これらの課題に対応するため、監査法人では様々な対策を講じています。例えば、監査調書管理システムの導入、定期的なバックアップの実施、アクセス権限の厳格な管理、監査調書の確定(ロック)機能の活用などです。

当事務所における監査調書管理体制

私たち公認会計士事務所においても、監査調書の作成と管理を、監査品質管理の中核に位置づけています。

まず、監査調書の標準化を推進しています。監査手続ごとに標準的なフォーマットを用意し、記載すべき事項を明確化することで、監査調書の品質と網羅性を確保しています。

次に、適時作成の徹底を図っています。監査スケジュールの中に、監査調書作成の時間を明示的に組み込み、監査手続の実施後、速やかに監査調書を作成する文化を醸成しています。

当事務所では、「監査調書は監査品質の鏡である」という認識のもと、全ての監査人が高品質な監査調書を作成できるよう、今後も継続的に取り組んでまいります。

監査調書は、目に見えにくい「監査の品質」を可視化する唯一の手段です。私たちは、詳細で明瞭な監査調書を通じて、クライアントや社会に対して、適切な監査を実施したことを説明する責任を果たしてまいります。

監査業務に関するご質問やご相談がございましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。私たちは、高品質な監査調書の作成を含め、監査基準に準拠した誠実な監査サービスを提供し、皆様の信頼に応えるべく、誠心誠意サポートさせていただきます。

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投稿者プロフィール

jinzaihaken
jinzaihaken
労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。