監査基準第三 実施基準 一 基本原則8における「特別目的財務諸表と会計の基準の受入可能性」の実務

人材派遣会社の経営者の方や、管理部門の責任者の方の中には、「銀行から提出を求められた資料だから」「許可更新で必要と言われたから」といった理由で、通常の決算書とは少し性格の違う財務情報を作成したご経験があるかもしれません。

結論から申し上げると、財務諸表が特定の利用目的に合わせて作成される場合、監査人は、その財務諸表が準拠する会計の基準が受け入れられるものかどうかをまず検討しなければなりません。ここを曖昧にしたまま監査証明を行うと、利用者が前提を誤解し、意思決定を誤るリスクが高まるからです。

監査基準第三 実施基準 一 基本原則8は、特別の利用目的に適合した会計の基準により作成される財務諸表の監査において、当該会計の基準が受入可能かどうかを検討することを求めています。

ここでは、基本原則8の趣旨を、特別目的財務諸表という切り口で整理しつつ、人材派遣会社の現場で起こりがちなケースを軸に、監査計画・監査手続・監査証明の出し方の注意点まで、段階的に解説します。


特別目的財務諸表とは何か――一般向けではない財務諸表

特別目的財務諸表とは、一般の不特定多数の利用者ではなく、特定の利用者・特定の意思決定のために作成される財務諸表を指します。ここで重要なのは、利用目的が限定されると、会計処理の前提や表示の粒度、重要性の考え方が、通常の財務諸表と変わり得るという点です。

人材派遣会社で典型的なのは、次のような場面です。

金融機関向けの提出資料(融資審査用に特定科目を組み替える)
M&Aや事業譲渡のためのカーブアウト財務情報(特定部門だけ切り出す)
投資家やファンド向けの調整後EBITDAなどの補足情報
許認可・更新に伴う特定の要件確認用の財務情報(財産的基礎の説明資料など)

こうした特別目的の財務諸表に対し、監査人が監査証明を行う場面があり得ます。しかし、その前に必ず立ち止まるべき問いがあります。

その会計の基準は、利用目的に照らして受け入れられるものか。
利用者は、その基準の前提と限界を理解できるか。

これが基本原則8の中核です。


受入可能性とは何か――会計の基準の筋の良さを点検する

基本原則8が求める受入可能性の検討は、平たく言えば、その会計の基準が、目的に対して合理的で、誤解を招きにくく、一定の客観性を備えているかを点検する作業です。

ここでいう会計の基準は、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準のような枠組みだけに限りません。特別目的に適合した基準には、社内ルールや契約上の定義、業界慣行を取り込んだ基準が含まれることがあります。だからこそ、監査人は「それで本当に良いのか」を検討します。

受入可能性の検討で、実務上よく見る観点は次のとおりです。

目的適合性:利用目的に合う測定・表示になっているか
中立性:特定の結論を導くために恣意的に設計されていないか
完全性:必要な情報が欠けていないか、重要な前提が隠れていないか
明瞭性:利用者が理解できる言葉で示され、誤読しにくいか
一貫性:期や対象が変わっても、比較可能性が確保されるか

たとえば、人材派遣会社の「調整後利益」を、派遣スタッフ募集費や教育費を全額除外して示すとします。これは目的(短期収益力の把握)によっては意味がある一方で、派遣事業の継続に不可欠なコストを外してしまい、利用者を誤解させる可能性があります。こうしたとき、受入可能性が問題になります。

監査証明は、数字そのものだけでなく、その数字が立っている土台(基準)が妥当であることが前提になります。基本原則8は、そこを明確に求めています。


人材派遣会社のケーススタディ――目的が先、基準が後になっていないか

ここで、人材派遣会社の現場を想定したケースで整理します。

登場人物
人材派遣会社P社:年商40億円、拠点8つ、派遣スタッフ約1,200名
社長:Q氏
管理部長:R氏
監査人:S公認会計士

P社は、地方銀行から追加融資を受けるため、「実質純資産を強く見せる」ことを意識した特別目的の財務諸表を作成しようとしました。具体的には、以下のような調整案です。

未払賞与の計上を見送る(支給は次期なので当期は不要という主張)
派遣スタッフの有給休暇の見積り計上を行わない(算定が難しいという理由)
回収懸念のある売掛金を通常どおり計上する(取引関係があるから大丈夫という主張)

R氏
「銀行は結局、純資産とキャッシュが見たいだけです。細かい見積りは省いて、分かりやすい形で出しましょう。」

S公認会計士
「目的が融資審査であっても、前提を外しすぎると利用者が誤解します。この基準は受入可能と言い切れません。監査証明の前に、基準自体を整える必要があります。」

Q社長
「でも、通常決算より保守的にすると、融資が通らないかもしれません。そこを何とかできませんか。」

S公認会計士
「監査証明は、数字を都合よくするための仕組みではありません。目的に適合し、利用者が誤認しない基準であることが先です。調整するなら、調整の内容と限界を明示し、必要な負債・引当の検討は外せません。」

この会話のポイントは、目的が先に立ち、基準が後追いで恣意的になっている点です。基本原則8は、こうした設計の危うさを、監査の入り口で止める役割を持ちます。


監査計画・監査手続への落とし込み――基準の理解が最初の監査手続

受入可能性の検討は、監査計画の前提条件になります。つまり、基準が受け入れられないなら、監査計画は立てられません。ここでの順序が大切です。

実務上、監査人がまず行うのは次の整理です。

財務諸表の利用目的の特定(誰が、何の意思決定に使うか)
想定利用者の特定(銀行、ファンド、行政機関、取引先など)
会計の基準の特定(何をルールとして作っているか)
基準の主要な測定・表示の特徴の理解(通常基準との差分)
注記や説明資料の設計(利用者の誤解防止)

そのうえで、監査手続は「通常の財務諸表監査と同じ」ではなく、特別目的であることを踏まえた手続設計になります。特に人材派遣会社では、次の領域が争点になりやすいです。

収益認識:稼働時間、単価、期間帰属、勤怠データの信頼性
人件費・社会保険:未払・未計上の有無、派遣スタッフ関連の見積り
売掛金:派遣先の信用状況、滞留、相殺、回収計画
拠点別管理:カーブアウトの場合、配賦基準の合理性
内部統制:勤怠・請求・入金の連動、承認フロー、権限管理

ここで重要なのは、監査証明を支える監査証拠が、その基準の枠内で十分かつ適切か、という点です。基準が変われば、必要な監査証拠も変わります。


開示と説明の設計――利用者の誤読を防ぐのが基本原則8の現実的なゴール

特別目的の財務諸表で一番怖いのは、利用者が「通常の決算書と同じ意味」だと思い込むことです。だから、受入可能性の検討は、基準の中身だけでなく、説明の仕方まで含めて考える必要があります。

人材派遣会社の例で言えば、次のような注記・説明がないと危険です。

この財務諸表は特定の利用目的のために作成されている旨
準拠した会計の基準の概要(通常基準との差分)
重要な会計方針の選択(稼働時間認定、未払計上、見積りの考え方)
含まれていない項目がある場合、その理由と影響
利用範囲の制限(第三者が一般目的に使うことは想定していない等)

P社のケースに戻ると、もし銀行向けに「未払賞与を計上しない」基準を採るなら、少なくとも「未払賞与相当額はいくらで、計上していれば純資産がどう変わるか」という影響情報を併記しないと、利用者の判断を誤らせる可能性があります。

監査証明は、利用者の判断を支えるためにある以上、誤読を防ぐ設計は避けて通れません。基本原則8は、その入口を監査人に求めていると理解すると、実務に落とし込みやすくなります。


当事務所のスタンス――特別目的の監査証明ほど、入口で厳格に

当事務所では、特別目的財務諸表に関する監査証明の相談を受けた際、次の順序で検討します。

利用目的と想定利用者を最初に確定する
会計の基準を文章化し、主要な論点を一覧化する
受入可能性の観点で、恣意性・誤認リスク・欠落情報を点検する
必要な注記・説明資料の整備を前提条件とする
その上で、監査計画と監査手続を設計する

特に人材派遣会社では、許認可、派遣先依存、勤怠データ、社会保険、売掛金滞留といった業界特性が、特別目的の資料作成時に「見せたい形」へ強く引っ張ることがあります。だからこそ、入口で基準の受入可能性を固め、利用者が誤解しない形に整えることを優先します。


まとめ――基本原則8は、監査証明の前提条件を守るルールです

監査基準第三 実施基準 一 基本原則8は、特別目的の財務諸表を監査する場合に、会計の基準が受け入れられるかどうかを検討することを求めています。

これは、監査手続の話というより、監査証明の前提条件の話です。基準が恣意的であったり、利用者の誤解を招く設計になっていたりすれば、どれだけ監査証拠を積み上げても、監査証明が社会的に意味を持ちにくくなります。

特別目的の資料を作成する場面が増えている今だからこそ、基本原則8の視点は、経営者にとっても、監査人にとっても、実務上の安全装置になります。

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投稿者プロフィール

jinzaihaken
jinzaihaken
労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。