ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン」に学ぶ人材派遣業のリスク戦略

2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大により、日本中の企業が次々と休業しました。

人材派遣業界も、大きな打撃を受けました。

製造業の工場が止まり、派遣需要が突然消えました。派遣スタッフは仕事を失い、派遣会社の売上は急減しました。

「こんなこと、誰が予測できただろうか?」

多くの経営者が、そう思ったでしょう。

しかし、レバノン出身の哲学者・元トレーダーのナシーム・ニコラス・タレブは、2007年に発表した名著「ブラック・スワン(The Black Swan)」の中で、こう警告していました。

「予測不可能な出来事は、必ず起きる。そして、それは世界を変える」

タレブが言う「ブラック・スワン」とは、以下の3つの特徴を持つ出来事です。

特徴1: 予測不可能(誰も予想していなかった) 特徴2: 極めて大きな影響(世界を変える) 特徴3: 後から説明可能(起きた後で、「ああ、あれが原因だったのか」と分かる)

コロナ禍は、まさにブラック・スワンでした。リーマンショック(2008年)もそうでした。東日本大震災(2011年)もそうでした。

タレブの重要なメッセージは、こうです。

「ブラック・スワンは予測できない。しかし、ブラック・スワンに強い組織を作ることはできる」

本稿では、タレブの理論を人材派遣業に適用し、予測不可能な危機に強い会社の作り方を解説します。

この記事を読めば、次の危機が来たとき、あなたの会社は生き残ることができます。


1. タレブが語る「ブラック・スワン」とは何か?

タレブは、こう説明します。

17世紀まで、ヨーロッパ人は「すべての白鳥は白い」と信じていました。何千羽、何万羽の白鳥を見ても、すべて白かったからです。

しかし、1697年、オーストラリアで黒い白鳥が発見されました。

それまでの常識が、一瞬で覆りました。

これが、「ブラック・スワン」という言葉の由来です。

ブラック・スワンの3つの特徴

特徴1: 予測不可能

過去のデータからは、予測できません。

「これまで起きなかったから、これからも起きない」という思い込みが、ブラック・スワンを見逃させます。

特徴2: 極めて大きな影響

起きたとき、世界を変えます。

リーマンショック、コロナ禍、戦争、大地震。これらは、経済、社会、人々の生活を一変させます。

特徴3: 後から説明可能

起きた後で、「ああ、サブプライムローンが問題だったのか」「ああ、感染症対策が不十分だったのか」と、原因が説明されます。

しかし、事前には誰も予測していませんでした。

人材派遣業におけるブラック・スワンの例

過去30年間、人材派遣業界を襲ったブラック・スワンを振り返ってみましょう。

1995年: 阪神・淡路大震災(関西の製造業に大打撃)

2008年: リーマンショック(派遣切り、派遣村が社会問題に)

2011年: 東日本大震災(東北の工場が停止)

2020年: コロナ禍(全国的な需要減、リモートワークの普及)

2024年: 物価高騰・人手不足(派遣料金の上昇圧力と人材確保困難)

これらは、すべて「事前には予測不可能」でした。

しかし、起きました。そして、業界を変えました。


2. 「過去のデータで未来を予測する」という幻想

タレブは、こう警告します。

「人間は、過去のデータから未来を予測しようとする。しかし、ブラック・スワンは、過去のデータには含まれていない」

七面鳥の話

タレブの有名な例え話があります。

ある七面鳥がいました。

飼い主は、毎日、七面鳥に餌を与えました。

七面鳥は、こう考えました。

「飼い主は、毎日餌をくれる。明日も、明後日も、きっと餌をくれるだろう」

1日目、餌をもらった。 10日目、餌をもらった。 100日目、餌をもらった。

七面鳥の確信は、日に日に強まりました。

「私の予測は正しい。飼い主は優しい。未来は安泰だ」

しかし、感謝祭の前日、1000日目。

飼い主は、七面鳥の首を切りました。

七面鳥にとって、これはブラック・スワンでした。

人材派遣業への適用

あなたの会社に、10年来の取引先企業があるとします。

毎月、安定した発注をくれます。

あなたは、こう考えます。

「この企業は、ずっと取引を続けてくれるだろう。来年の売上計画も、この企業の発注を前提に立てよう」

しかし、ある日突然、その企業が倒産します。

または、海外に工場を移転し、国内の派遣需要がゼロになります。

過去10年間のデータは、何の役にも立ちませんでした。

これが、タレブが言う「過去のデータで未来を予測する幻想」です。


3. 「脆い」組織と「頑健」な組織と「反脆弱」な組織

タレブは、組織を3つのタイプに分類します。

タイプ1: 脆い(Fragile)

小さなショックで壊れる組織です。

人材派遣業での例を挙げます。

・売上の80%を、1社の大口顧客に依存している

・製造業のみに特化し、他の業界に対応できない

・固定費(事務所の家賃、正社員の人件費)が高い

・現金が少なく、売上が減るとすぐに資金繰りが悪化する

このような会社は、大口顧客が契約を切ったり、製造業の不況が来たりすると、一気に倒れます。

タイプ2: 頑健(Robust)

ショックに耐えられる組織です。

人材派遣業での例です。

・売上を複数の顧客に分散している(上位5社で50%以下)

・複数の業界に対応している(製造業、物流、IT、医療など)

・固定費を抑えている(小さな事務所、少数精鋭の正社員)

・現金を十分に持っている(3か月分の運転資金)

このような会社は、1社が倒れても、1つの業界が不況でも、何とか耐えられます。

タイプ3: 反脆弱(Antifragile)

ショックから利益を得る組織です。

これが、タレブが最も重視する概念です。

「反脆弱」とは、単にショックに耐えるだけでなく、ショックによって強くなる性質です。

人材派遣業での例を見てみましょう。

コロナ禍が起きたとき、多くの派遣会社は売上が減りました。しかし、ある派遣会社は、こう動きました。

・製造業の需要が減ったが、物流(Eコマース関連)の需要が急増していることに気づいた

・すぐに物流業への営業を強化し、製造業の派遣スタッフを物流業にシフトした

・リモートワークの普及により、IT人材の需要が増えていることに気づき、IT特化の派遣部門を新設した

この会社は、コロナ禍というショックによって、新しい市場を開拓し、成長しました。

これが、「反脆弱」です。


4. 「予測するな、準備せよ」

タレブは、こう言います。

「ブラック・スワンは予測できない。だから、予測に時間を使うな。準備に時間を使え」

悪い戦略: 予測に頼る

多くの企業が、こう考えます。

「来年の景気はどうなるだろう? エコノミストの予測を見よう」 「AIで市場動向を分析し、需要を予測しよう」 「過去5年のデータから、来年の売上を予測しよう」

しかし、タレブは言います。

「予測は当たらない。特に、ブラック・スワンは予測できない」

リーマンショックを予測したエコノミストは、ほとんどいませんでした。

コロナ禍を予測した専門家も、ほとんどいませんでした。

予測に頼る戦略は、脆いのです。

良い戦略: 準備に集中する

タレブが勧めるのは、こうです。

「何が起きるか分からない。しかし、何が起きても対応できる組織を作ろう」

人材派遣業での具体例を挙げます。

準備1: 顧客の分散

1社に依存せず、10社、20社と取引先を増やす。

1社が倒れても、影響は10%、5%に抑えられます。

準備2: 業界の分散

製造業だけでなく、物流、IT、医療、介護など、複数の業界に対応できる体制を作る。

1つの業界が不況でも、他の業界でカバーできます。

準備3: 固定費の削減

事務所は小さく、正社員は少数精鋭。

売上が減っても、すぐに倒れない体質を作ります。

準備4: 現金の確保

利益が出たとき、すぐに使わず、現金として貯めておく。

6か月分、できれば1年分の運転資金を持つ。

危機が来たとき、現金が命を救います。

準備5: 柔軟性

「うちは製造業専門」と固定せず、「市場の変化に応じて、柔軟にシフトできる」体制を作る。

派遣スタッフにも、複数のスキルを身につけてもらう(製造業でも物流でも働ける)。


5. 「バーベル戦略」のすすめ

タレブが提唱する、最も実践的な戦略が「バーベル戦略」です。

バーベルとは、筋トレで使う、両端に重りがついた棒のことです。

中央は細く、両端が太い。

タレブは、ビジネスも同じ構造にすべきだと言います。

バーベル戦略の構造

左端(90%): 極めて安全な資産・事業

リスクがほぼゼロ。リターンも小さいが、確実。

右端(10%): 極めてリスクの高い投資・事業

失敗する確率は高いが、当たれば大きなリターン。

中央(0%): 中途半端なリスクの投資・事業

これを避ける。

人材派遣業への適用

左端(90%): 安定した既存顧客、既存業界

長年の取引先。製造業、物流など、需要が確実にある分野。

ここで、安定した売上と利益を確保します。

右端(10%): 新しい市場への挑戦

例えば、IT人材派遣、介護人材派遣、外国人材専門など。

失敗するかもしれません。しかし、10%なので、失敗しても会社は倒れません。

もし成功すれば、新しい収益源になります。

中央(0%): 中途半端な事業

「製造業も、物流も、ITも、医療も、すべて中途半端にやる」

これを避けます。

具体例: M社の実践

M社(神奈川県の派遣会社、従業員15名)の事例を紹介します。

M社は、以下のようにバーベル戦略を実践しました。

左端(90%): 製造業の派遣

長年の取引先5社。毎月、安定した発注。

ここで、確実な売上(年間8,000万円)と利益を確保。

右端(10%): 介護人材派遣への挑戦

製造業とは全く違う分野。未経験の領域。

年間の投資額を800万円(全体の10%)に限定。

担当者1名を配置し、介護施設への営業を開始。

最初の1年は、ほとんど受注がありませんでした。

しかし、2年目から徐々に増え、3年目には年間1,500万円の売上に成長。

コロナ禍が来たとき、製造業の需要が減りましたが、介護の需要は逆に増えました。

M社は、この右端(10%)への投資により、危機を乗り越えました。

もし、M社がすべてのリソースを製造業に集中していたら(バーベルの左端だけ)、コロナ禍で大きな打撃を受けていたでしょう。

逆に、すべてを新規事業に投資していたら(右端だけ)、失敗して倒れていたかもしれません。

バーベル戦略により、M社は「安定」と「挑戦」の両立を実現しました。


6. 「オプション性」を持つ

タレブは、「オプション性」という概念を重視します。

オプション性とは、上昇局面では利益を得られ、下降局面では損失が限定される性質です。

人材派遣業でのオプション性の例

例1: 副業・兼業人材の活用

正社員として雇うのではなく、副業・兼業で働いてもらう。

需要が増えたとき、稼働を増やしてもらう(上昇局面で利益)。

需要が減ったとき、稼働を減らす(下降局面で損失限定)。

固定費にならないので、リスクが低い。

例2: 小規模な市場テスト

新しい業界に参入するとき、いきなり大規模投資をしない。

まず、担当者1名、投資額500万円で、3か月間テストする。

うまくいけば、拡大する。うまくいかなければ、撤退する。

損失は500万円に限定される。

例3: 業務委託契約の活用

事務所を大きく借りるのではなく、シェアオフィスを使う。

需要が増えたら、スペースを増やす。減ったら、縮小する。

固定費を変動費化することで、オプション性を持たせます。

オプション性がない例

例1: 高額な設備投資

自社で研修センターを建設(投資額5,000万円)。

需要が減っても、建物は残ります。固定費として重くのしかかります。

例2: 長期の事務所契約

10年契約で、大きなオフィスを借りる。

需要が減っても、家賃は払い続けなければなりません。

タレブは言います。

「オプション性を持つ選択をせよ。上昇局面で利益を得られ、下降局面で損失が限定される選択を」


7. 実例: ブラック・スワンを生き延びたN社

ここからは、タレブの理論を実践し、ブラック・スワンを生き延びた派遣会社の実例を紹介します。

背景

N社は、東京都の中堅派遣会社(従業員30名)です。

2019年まで、製造業を中心に派遣していました。売上は年間5億円、順調に成長していました。

ブラック・スワンの襲来: コロナ禍

2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大により、日本中の工場が停止しました。

N社の売上は、3月に前年比30%減、4月に50%減、5月に60%減。

多くの派遣会社が倒産しました。

しかし、N社は生き延びました。

なぜ生き延びたか? タレブの理論の実践

N社は、以前からタレブの理論を学び、実践していました。

実践1: 顧客の分散(脆さを避ける)

N社の売上構成を見てみましょう。

・上位1社: 15%

・上位5社: 40%

・その他: 60%

1社に依存していなかったため、1社が倒れても致命傷にはなりませんでした。

実践2: 現金の確保(頑健性)

N社は、利益が出ても、すぐに使わず、現金として貯めていました。

コロナ禍の直前、現金残高は1億2,000万円。これは、約3か月分の運転資金でした。

売上が60%減っても、3か月間は耐えられました。

実践3: バーベル戦略

N社は、以下の構成でした。

左端(85%): 製造業の派遣(安定した既存顧客)

右端(15%): 物流業への挑戦(新規事業)

コロナ禍で製造業の需要が減りましたが、物流業(特にEコマース関連)の需要は急増しました。

N社は、すぐに製造業の派遣スタッフを物流業にシフトし、物流業の営業を強化しました。

結果、物流業の売上比率が15%から40%に増加。

全体の売上は、5月に底を打った後、6月から回復し、12月には前年比90%まで戻りました。

実践4: オプション性(固定費の低さ)

N社の固定費は、売上の30%でした(業界平均は40%)。

事務所は小さく、正社員は20名(派遣スタッフは約200名)。

売上が減っても、固定費が低いため、赤字幅が小さく抑えられました。

実践5: 柔軟性(反脆弱性)

N社は、派遣スタッフに対し、複数のスキルを身につける研修を提供していました。

製造業の組立作業だけでなく、フォークリフト、倉庫管理システムの操作なども学んでもらっていました。

そのため、製造業から物流業へのシフトが、スムーズにできました。

結果(2021年)

以下の成果が出ました。

・2021年の売上は、前年比110%(コロナ禍前を超える)

・物流業が新しい柱に成長(売上比率40%)

・現金残高は1億5,000万円に増加

・競合他社が倒産する中、N社は人材を採用し、シェアを拡大

N社の社長は、こう語りました。

「タレブの理論を学んでいなければ、うちも倒産していたかもしれない。ブラック・スワンは予測できない。でも、準備はできる」


8. 「専門家の予測」を疑え

タレブは、専門家の予測を強く批判します。

「専門家は、過去のデータに基づいて予測する。しかし、ブラック・スワンは過去のデータには含まれていない。だから、専門家の予測は当たらない」

例: エコノミストの予測

2007年、ほとんどのエコノミストは、「米国経済は順調だ」と予測していました。

しかし、2008年、リーマンショックが起きました。

2019年、ほとんどの専門家は、「2020年の日本経済は緩やかに成長する」と予測していました。

しかし、2020年、コロナ禍が起きました。

人材派遣業への適用

業界団体の予測、シンクタンクのレポート、コンサルタントの分析。

これらは、参考にはなります。しかし、盲信してはいけません。

なぜなら、これらは過去のデータに基づいているからです。

ブラック・スワンは、過去のデータには含まれていません。

タレブは、こう勧めます。

「専門家の予測に頼るな。自分の頭で考え、最悪のシナリオに備えよ」


9. 「マイナス思考」のすすめ

タレブは、「ネガティブ・アプローチ」を推奨します。

これは、「何をすべきか」ではなく、「何をすべきでないか」を考える方法です。

人材派遣業での実践

ポジティブ・アプローチ(避けるべき)を見てみましょう。

「来年は、IT業界が伸びるから、IT人材派遣を強化しよう」

これは、予測に基づいています。外れるかもしれません。

ネガティブ・アプローチ(推奨)はこうです。

「1社に依存するのは危険だ。だから、顧客を分散しよう」 「製造業だけに頼るのは危険だ。だから、複数の業界に対応しよう」 「固定費が高いのは危険だ。だから、固定費を削減しよう」 「現金が少ないのは危険だ。だから、現金を貯めよう」

これらは、予測に頼っていません。

どんな未来が来ても、危険を減らす行動です。

タレブは言います。

「予測するな。脆さを減らせ」


10. まとめ

ナシーム・ニコラス・タレブの「ブラック・スワン」は、人材派遣業に多くの示唆を与えます。

予測不可能な出来事は、必ず起きます。

リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍。次は何が来るでしょうか? 分かりません。

しかし、分からないからこそ、準備が必要です。

タレブの教えをまとめます。

教え1: ブラック・スワンは予測できない。予測に時間を使うな。

教え2: 脆い組織を、頑健な組織に、さらに反脆弱な組織に変えよ。

教え3: バーベル戦略を取れ。90%は安全に、10%は挑戦に。

教え4: オプション性を持て。上昇局面で利益、下降局面で損失限定。

教え5: 顧客を分散し、業界を分散し、固定費を削減し、現金を貯めよ。

教え6: 専門家の予測を疑え。自分の頭で考えよ。

教え7: 何をすべきか、ではなく、何をすべきでないか、を考えよ。

次のブラック・スワンが来るのは、明日かもしれません。10年後かもしれません。

しかし、必ず来ます。

今日から、準備を始めてください。



参考文献

日本人材派遣協会「派遣業界統計」(2020-2024年版)

Taleb, N. N. (2007). "The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable" Random House.
邦訳: ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月衛訳『ブラック・スワン(上・下)』ダイヤモンド社、2009年

Taleb, N. N. (2012). "Antifragile: Things That Gain from Disorder" Random House.
邦訳: ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月衛・千葉敏生訳『反脆弱性(上・下)』ダイヤモンド社、2017年

厚生労働省「新型コロナウイルス感染症による雇用への影響」(2020-2021年)

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