派遣事業経営者のための人材戦略 守島基博教授の「構造的ミスマッチ解消論」に学ぶ競争優位の創出
労働者派遣法の改正により、派遣労働者の「同一労働同一賃金」(2020年4月1日施行)や「キャリアアップ支援(教育訓練)の義務化」(2015年9月30日施行)が法制化されました。これらは単なるコンプライアンス課題ではなく、派遣事業者の競争優位を左右する人材戦略の核心です。学習院大学経済学部教授・守島基博氏(元一橋大学教授、博士:労使関係論)は、20年以上にわたり派遣労働者の人材マネジメントの構造的課題と解決策を実証研究してきました。守島教授の主要論文に基づき、派遣事業経営者が直面する本質的な課題と具体的な戦略的人材マネジメント施策を提示します。
第一部:派遣労働の構造的課題―「三つのミスマッチ」とは
1-1. 二つの人材マネジメント主体と短期性
守島教授と島貫智行氏の2004年論文『派遣労働者の人材マネジメントの課題』は、派遣労働特有の構造を以下のように定義しています。
「派遣労働者という雇用形態は、①二つの人材マネジメント主体(派遣先企業と人材派遣会社)と、②キャリア・パースペクティブの短期性という、従来の正規従業員とは異なる、構造的な枠組みを有している」(p.3)
この構造が以下の「三つのミスマッチ」を生み出します。
【ミスマッチ①:調達段階―「職務と人材」のミスマッチ】
- 派遣先:人材要件は明確だが、派遣労働者の情報が少なく、適切な派遣会社を選定できない
- 派遣元:募集・選考機能はあるが、派遣先の仕事内容や職場環境の詳細情報が不足し、要件に合致した人材を供給できない
【ミスマッチ②:育成段階―「内容と方法」のミスマッチ】
- 派遣先:実際の業務経験は提供できるが、体系的な教育訓練を実施する責任・インフラがない
- 派遣元:汎用的スキル研修は提供できるが、派遣先特有の業務内容に即した訓練は困難
【ミスマッチ③:評価・処遇段階―「貢献と対価」のミスマッチ】
- 派遣先:派遣労働者の日々の成果は把握できるが、処遇決定権限がない
- 派遣元:処遇決定権はあるが、派遣先での実際の貢献度の詳細を把握しにくい
厚生労働省の2001年調査でも、派遣先・派遣元双方が「技能のレベルアップ」「職場への適応力」「仕事のモラール向上」を上位課題として挙げています。2002年度時点で派遣労働者総数は179万人(前年比24%増)に達しており、構造的課題への対処は経営的急務でした(p.1-2)。
1-2. キャリア・パースペクティブの短期性がミスマッチを固定化する
さらに深刻なのは、派遣先・派遣元双方が短期的な関係性を前提とするため、「ミスマッチ解消への投資インセンティブが働かない」という点です。
「キャリア・パースペクティブの短期性は、派遣先企業と人材派遣会社の双方にとって、こうした職務と人材のミスマッチを解消することをいっそう難しくする...もしミスマッチが生じても、調整せず人を取り替えてしまう方向になりがち」(p.4)
実際の派遣労働者ヒアリングからも、以下の声が記録されています。
- Aさん:「残業が多いなんて話が違う。上司からは何の説明もないし、職場の人たちとの会話もほとんどない。いまだに職場になじめない」
- Bさん:「以前働いていた会社とは、仕事のやり方が全く違う。せっかくOA研修にも通っていたのに、今の仕事で求められるOAスキルのレベルは低すぎる」
- Cさん:「自分の働きぶりがよかったのか、悪かったのか、よくわからない。同じ派遣社員でも、その仕事ぶりは、人によってかなり違う。全員が同じ時給というのは納得がいかない」(p.8-9)
これらは単なる個別事例ではなく、構造的な「情報の分断」「責任の分断」が生み出す本質的課題なのです。
第二部:解決策①―「人材マネジメント・サイクル」の再構築
2-1. 相互補完性に基づく統合的マネジメント
守島教授は、ミスマッチ解消のための根本方策として、「派遣労働者の調達、育成、評価・処遇という、人材マネジメント機能を、一つの人材マネジメント・サイクルとして機能させることが必要」(p.10)と提言しています。
具体的施策:
【調達段階の相互連携】
- 派遣元→派遣先:詳細な人材プロファイル(職務経験、保有スキル、キャリア志向)の提供
- 派遣先→派遣元:職務記述書(Job Description)の詳細化、職場環境・上司のマネジメントスタイル情報の開示
- 双方:マッチング段階での三者面談(派遣元営業・派遣先上司・派遣労働者)の実施
【育成段階の連動設計】
- 派遣元:汎用スキル訓練(PCスキル、ビジネスマナー等)の入職前提供
- 派遣先:配属直後のOJT担当者の明確化と、業務固有スキルの実務指導
- 双方:定期的な三者レビュー(月1回程度)による育成進捗の共有と軌道修正
【評価・処遇段階のフィードバック循環】
- 派遣先:具体的な行動評価シートの作成と派遣元への定期フィードバック
- 派遣元:派遣先評価を時給改定・次回マッチング・能力開発プランに反映
- 双方:派遣労働者本人への評価結果の開示と、キャリア相談の実施
第三部:解決策②―「全員戦力化」と「雇用ポートフォリオ管理」
3-1. 「多様な正社員」論と非正規の戦略的位置づけ
守島教授の2011年論文『「多様な正社員」と非正規雇用』は、正社員・非正規の境界が変容する中で、派遣労働者を「単なる変動調整要員」ではなく「経営上より重要な位置づけ」として認識する企業が増加していることを実証しています。
「多様な正社員施策導入企業では、契約社員や派遣社員を単なるコスト削減・変動調整要員としてだけでなく、『一定以上の技能や知識の活用』『正社員の代替可能』等、より経営の中核に近い存在と位置付けている度合いが高い」(p.9-11)
これは、派遣労働者を「周辺的労働力」ではなく、「戦略的人材ポートフォリオの一翼を担う専門人材」として再定義することを意味します。
【実践的示唆】
- 派遣労働者の職務を「定型的・補助的業務」から「専門性を要する中核業務」へ段階的にシフト
- スペシャリスト派遣(IT、経理、法務、マーケティング等)の強化と、派遣元による専門教育プログラムの拡充
- 優秀な派遣労働者に対する正社員転換制度(ブリッジ施策)の整備
3-2. 「全員戦力化」―個別最適化の人材マネジメント
守島教授の2024年講演『人的資本経営の真意と企業が採るべき人事戦略』では、「全員戦力化」概念が提示されています。
「全員戦力化とは、可能な限り全ての人材の能力や意欲を戦略の目的実現のために活用する人材・組織戦略。具体的には、一人ひとりを丁寧に育成・配置し、パフォーマンス向上の支援をし、個の事情に配慮しながら、可能な限り全員に活躍してもらうことを目指す人事」(p.34)
派遣事業においては、以下の施策に翻訳できます。
【タレント・マネジメント】
- 派遣労働者一人ひとりのスキルマトリックス・キャリア志向の詳細データベース化
- AI/データ分析による「適所適材」マッチングの高度化
- 定期的なキャリア面談(年2回以上)による中長期的キャリアプラン策定支援
【パフォーマンス・マネジメント】
- 派遣元営業担当者による月1回の1on1ミーティング実施
- 派遣先上司からの「丁寧なフィードバック」文化の醸成(良い点・改善点の具体的伝達)
- 短期的順位付けではなく、個人の成長軌跡を重視する評価設計
【組織開発とエンゲージメント】
- 派遣労働者コミュニティの形成(定期的な交流会・学習会)
- パーパス(存在意義)やビジョンの共有による「働きがい」の醸成
- 心理的安全性の高い職場づくり(派遣先への働きかけ含む)
第四部:解決策③―「納得性」と「過程の公正性」の確保
4-1. 分配の公正性から過程の公正性へ
守島教授の2008年論文『今、公正性をどう考えるか:組織内公正性論の視点から』は、成果主義・格差拡大時代における「納得性」確保の重要性を強調しています。
JILPT(労働政策研究・研修機構)の2004-2005年調査によれば、過去5年間で75.3%の企業が「成果を基準とした評価や処遇格差拡大」を重視した一方、「従業員全体の能力向上を目的とした教育訓練」を重視した企業は53.3%に留まりました。
特に非正規社員への学習機会提供については、わずか9.1%の企業しか実施していないという衝撃的なデータが示されています。
「派遣労働者にとっての、働くことの納得性を確保することが必要になる...職種や労働条件等の、明示的な契約についての納得性に限らない。派遣労働者としての働きがいや働きやすさ、自分の仕事ぶりに対する評価と報酬、人材価値を向上させるための能力開発の機会など、自分が働く組織からの、すべての人材マネジメントに対する期待に基づく心理的な契約概念であろう」(2004年論文, p.10)
4-2. 実践施策:透明性と参加の確保
【情報開示と意思決定プロセスへの参加】
- 評価基準・処遇決定ルールの明文化と事前開示
- 派遣労働者代表との定期的な労使協議(年2回以上)
- 苦情申し立て制度の整備と迅速な対応体制
【教育訓練機会の均等化】
- 年間8時間以上(法定最低限)の入職時訓練の確実な実施
- 派遣就業中の継続的スキルアップ支援(eラーニング、外部セミナー参加補助等)
- キャリアコンサルタント有資格者による個別キャリア相談の提供
【心理的契約の管理】
- Realistic Job Preview(RJP):派遣前に職場実態を正確に伝える
- 定期的な満足度調査(年1回以上)とフィードバック
- 派遣先職場でのインクルージョン(受容・包摂)促進への働きかけ
第五部:人材マネジメントの変化と「人的資本経営」へのシフト
5-1. コストから資本へのパラダイム転換
守島教授の2007年講演『人材マネジメントの変化と将来の課題』は、バブル崩壊後の日本企業が「働く人に多大な犠牲を要求するマネジメント」を行ってきたことへの反省を促しています。
実際、日本企業の教育訓練費は1980年代後半から減少を続け、2007年時点で全労働費用のわずか0.27%にまで低下していました(p.8)。
しかし、少子高齢化による人材の希少性の高まり、働き方の多様化、ワークライフバランス重視の価値観の広がりにより、「人視点」の人材マネジメントへの転換が不可避となっています。
「人的資本経営というものの本質というのは、働く人はコストではない、価値を生み出す存在、企業として価値を生んでもらうためには、企業としていろんな投資をしなきゃいけないし、投資をすることで価値をちゃんと出して、単にそれは人材育成投資をする、能力を高めるってことだけじゃなくて、人を活用するということも含めて、そういうことをやっていかないといけない時代になってきた」(2024年講演, p.29)
5-2. 派遣事業者における人的資本経営の実装
【人的資本の3要素】
- 人的資本=企業価値創造のカギという認識
- 派遣労働者の能力・意欲・エンゲージメントが、派遣先満足度・契約継続率に直結
- 「人材の質」が派遣単価と収益性を左右する
- 経営戦略と人事戦略の連動(戦略人事)
- 派遣先企業のニーズ変化(DX人材、専門職需要等)を先読みした人材育成投資
- 事業領域拡大(製造→サービス、一般→専門特化等)と連動した採用・育成戦略
- 人的資本情報の開示と投資家・顧客への訴求
- 従業員エンゲージメントスコア、研修時間、キャリアアップ率等のKPI開示
- 派遣先企業への人材品質保証としての情報提供
第六部:統合的戦略フレームワーク
以上の知見を統合し、派遣事業経営者が実行すべき戦略的人材マネジメントのフレームワークを以下に示します。
【戦略レイヤー1:構造的課題への対処】
- 派遣先・派遣元・派遣労働者の「三者連携モデル」の構築
- 調達・育成・評価処遇を統合した「人材マネジメント・サイクル」の設計
- 短期関係性を前提としつつも、中長期的キャリア支援の両立
【戦略レイヤー2:ポートフォリオ管理の高度化】
- 派遣労働者の「周辺労働力」から「戦略的専門人材」への再定義
- 多様性(雇用形態、スキル、キャリア志向)を前提とした個別最適マッチング
- 正社員転換制度(ブリッジ)の整備による内部化促進
【戦略レイヤー3:納得性・公正性の徹底】
- 評価・処遇の透明性確保と意思決定プロセスへの参加機会提供
- 教育訓練投資の拡充(法定最低限を大きく超える水準へ)
- 心理的契約の丁寧な管理(RJP、満足度調査、インクルージョン促進)
【戦略レイヤー4:人的資本経営へのシフト】
- コストから資本へのパラダイム転換(全員戦力化の思想)
- タレント・マネジメント、パフォーマンス・マネジメント、組織開発の実践
- 人的資本KPIの可視化と、経営意思決定への組み込み
おわりに:派遣事業の本質的価値の再定義
守島基博教授の一連の研究が示唆するのは、派遣事業の本質的価値は「労働力の需給調整機能」にとどまらず、「派遣労働者のキャリア開発支援を通じた人的資本価値の向上」「派遣先企業への戦略的人材ソリューションの提供」にあるということです。
2015年のキャリアアップ支援義務化、2020年の同一労働同一賃金原則の導入は、まさにこの方向への制度的後押しに他なりません。
法令遵守を最低限の出発点とし、守島理論に基づく「構造的ミスマッチの解消」「相互補完的マネジメント・サイクルの構築」「納得性・公正性の徹底」「人的資本経営へのシフト」を実践する派遣事業者こそが、今後の市場で競争優位を確立できるでしょう。
主要参考文献
- 守島基博・島貫智行(2004)「派遣労働者の人材マネジメントの課題」『日本労働研究雑誌』No.526 https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2004/05/pdf/004-015.pdf
- 守島基博(2011)「『多様な正社員』と非正規雇用」RIETI Discussion Paper Series 11-J-057 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/11j057.pdf
- 守島基博(2007)「人材マネジメントの変化と将来の課題〜今必要なのは、働く人の視点〜」JILPT労使関係フォーラム講演資料 https://www.jil.go.jp/event/ro_forum/resume/070129/morishima.pdf
- 守島基博(2008)「今、公正性をどう考えるか:組織内公正性論の視点から」RIETI Discussion Paper Series 08-J-060 https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/08j060.pdf
- 守島基博(2024)「人的資本経営の真意と企業が採るべき人事戦略」生命保険論集第227号 https://www.jili.or.jp/files/research/ronshu/record227.pdf
- Morishima, M. and Shimanuki, T.(2005)"Managing Temporary Workers in Japan," Japan Labor Review, Vol.2, No.2 https://www.jil.go.jp/english/JLR/documents/2005/JLR06.pdf
- 学習院大学経済学部教員紹介 守島基博 https://www.univ.gakushuin.ac.jp/eco/about/management/member/motohiromorishima/
以上、守島基博教授の研究に基づく派遣事業者向けコラムをお届けしました。守島教授の研究は「派遣労働特有の構造的課題」と「正規・非正規を含む雇用ポートフォリオ全体の戦略的管理」に焦点を当てている点が特徴的です。
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