派遣事業経営者のための「職場学習」革命

労働者派遣事業の許可申請において、派遣元責任者の選任や教育訓練体系の整備は必須要件です。しかし、単に法的要件を満たすだけでは、真の競争優位性は生まれません。立教大学経営学部教授・中原淳氏の人材開発研究から、派遣事業経営に活用できる実践的知見をご紹介します。

中原淳教授は「大人の学びを科学する」をテーマに、企業における人材開発・組織開発を研究する第一人者です。東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了後、東京大学准教授を経て、2018年より立教大学教授に就任されました。専門は人材開発論・組織開発論であり、日本労働研究雑誌をはじめとする学術誌に多数の論文を発表されています。


第一部 従来型OJTの限界と「職場学習環境」という視点

1. OJTとOff-JTの「2つの陥穽」

中原教授は、日本企業が長年依拠してきたOJT(On the Job Training)とOff-JT(Off the Job Training)という枠組みに、2つの根本的問題があると指摘しています。

第一の陥穽は「垂直的関係への過度な依存」です。OJTは一般的に「上司が部下に対して仕事を通じて計画的に必要な知識・技能を教育訓練すること」と定義されます。しかし、この理解では「同僚−同期間」や「上位者−部下間」など、職場における多様な社会的ネットワークを通じた学習の実態を見逃してしまいます。

第二の陥穽は「OJTとOff-JTの分断」です。これら2つの概念が別々の施策として運用されることで、研修で学んだ内容が現場で活かされない、あるいは現場の経験が研修にフィードバックされないという非効率が生じています。実際、研修の失敗要因の8割は研修以外の要因、すなわち「研修前の職場での準備」(4割)と「研修後の職場実践とサポート」(4割)にあるという研究結果があります(Brinkerhoff, 2008)。

派遣事業においても、派遣スタッフへのOJTは派遣先企業任せ、Off-JTは派遣元の集合研修という分断が起こりがちです。この構造的問題を認識することが、改革の第一歩となります。

2. 職場を「学習環境」として再定義する

中原教授の研究は、職場を単なる「作業の場」ではなく「学習環境」として捉え直すことの重要性を実証しています。2008年に日本企業43社・2304名の若手・中堅社員を対象に実施した大規模調査から、以下の知見が得られました。

職場における他者からの支援は3種類に分類されます

  1. 業務支援 仕事の進め方やノウハウの直接的な伝達
  2. 内省支援 経験を振り返り、意味づけを助ける支援
  3. 精神支援 励ましや安心感を与える情緒的サポート

重回帰分析の結果、最も強い影響を持っているのは「内省支援」であり、上司による精神支援と内省支援、上位者・先輩による内省支援、同僚・同期による業務支援・内省支援が、本人の能力向上に正の影響を与えていることが明らかになりました。

さらに重要なのは、職場の「互酬性規範」(将来均衡がとれるとの相互期待をもとにした交換の持続的社会関係)が高い職場ほど、このような支援が活発に提供されるという発見です。


第二部 派遣事業経営への3つの実践的示唆

示唆1 「内省支援」を組織的に設計する

派遣スタッフの能力向上において、単に業務を教えるだけでは不十分です。経験を振り返り、そこから教訓を引き出す「内省」のプロセスを支援する仕組みが必要です。

具体的施策の例

  • 定期的な1on1ミーティングの実施 派遣元の担当営業やキャリアコンサルタントが、派遣スタッフと定期的に面談し「今週の業務で最も学びになったことは何ですか」「なぜそれがうまくいったと思いますか」といった内省を促す質問を投げかける
  • 経験共有セッションの開催 同じ職種の派遣スタッフを集め、成功体験・失敗体験を共有する場を設ける。中原教授の研究では、職場で展開される成功経験談と失敗経験談はいずれも業務遂行能力の向上に資することが実証されています
  • 振り返りシートの活用 業務終了後に簡単な振り返りシート(3~5分程度で記入可能)を記入してもらい、それをもとに対話する

示唆2 多層的な支援ネットワークを構築する

従来のOJTは「派遣先の指導担当者→派遣スタッフ」という単線的な関係に依存していました。しかし、中原教授の研究が示すように、能力向上には上司だけでなく、先輩・同僚・同期といった多様な他者からの支援が重要です。

派遣事業における多層的支援ネットワークの設計

  • 派遣元側の支援層 営業担当者、キャリアコンサルタント、派遣元責任者、同じ派遣先で働く先輩派遣スタッフ
  • 派遣先側の支援層 直属の上司、業務指導担当者、職場の先輩社員、同じチームのメンバー
  • 横のつながり 同期入社の派遣スタッフ、同職種の派遣スタッフコミュニティ

特に重要なのは、派遣元と派遣先の両方で支援体制を整え、かつそれらを連携させることです。派遣先での日常的なOJTと、派遣元での定期的なフォローアップ・研修を有機的に結びつけることで、分断を乗り越えた統合的学習環境が実現します。

示唆3 「経験学習サイクル」を回す仕組みをつくる

中原教授が詳細に解説している「経験学習理論」は、デビッド・コルブが提唱した学習モデルに基づいています。このモデルでは、学習は以下の4段階を循環することで深化します。

  1. 具体的経験 実際の業務体験
  2. 内省的観察 経験を振り返り、意味づける
  3. 抽象的概念化 経験から一般化可能な教訓を引き出す
  4. 能動的実験 新たな状況で学んだことを試す

中原教授の実証研究によれば、1~2年目の社員は「具体的経験」を積むことが能力向上に重要であり、3~9年目の社員は経験学習サイクルの全要素をバランス良く担うことが重要です。また、営業職では「具体的経験」「内省的観察」「抽象的概念化」が、研究職では「能動的実験」「具体的経験」が特に重要であるという職種別の特性も明らかになっています。

派遣事業での応用例

  • 配属初期(1~3ヶ月) 多様な業務経験を意図的に付与し、具体的経験を豊富に積ませる
  • 定着期(3ヶ月~1年) 月次の振り返りセッションで内省を促し、「この業務での成功パターンは何か」を言語化させる
  • 熟達期(1年以降) 後輩派遣スタッフの指導役を担当させ、自身の経験を抽象化・言語化する機会を提供する

第三部 「組織社会化」から見る派遣スタッフの定着支援

参入前の「現実的職務予告(RJP)」の重要性

中原教授の「経営学習論」では、組織社会化のプロセスとして「参入前」と「参入後」に分けた分析がなされています。

参入前の段階では、ジョン・ワナス(1973)が提唱した「現実的職務予告(Realistic Job Preview: RJP)」が重要です。これは、採用候補者の「バラ色の期待」を「リアルな現実」に変化させることで、参入後の精神的ダメージを軽減する「ワクチン」のような働きをします。

派遣事業においても、派遣先の仕事内容や職場環境について、ポジティブな情報だけでなくネガティブな情報(繁忙期の残業実態、職場の雰囲気など)も事前に正確に伝えることが、早期離職の防止につながります。

参入後の段階的社会化支援

組織社会化の定義は「組織への参入者が組織の一員となるために、組織の規範、価値、行動様式を受入れ、職務遂行に必要な技能を習得し、組織に適応していく過程」(高橋, 1993)とされています。

派遣スタッフは、派遣元企業と派遣先企業という「2つの組織」への同時的社会化が求められるという特殊性があります。この複雑な状況に対応するため、以下のような段階的支援が有効です。

配属初日~1週間 派遣元担当者が派遣先を訪問し、職場への円滑な導入を支援 1ヶ月後 派遣元での集合フォローアップ研修で、同期入社者との横のつながりを強化 3ヶ月後 キャリアコンサルティング面談で、適応状況を確認し、キャリアパスを提示 6ヶ月後以降 定期的な内省支援と、次のステップ(スキルアップ研修、正社員登用制度など)の案内


第四部 転職者(中途採用)への「組織再社会化」支援

派遣事業では、前職での経験を持つ中途採用者が多く登録します。中原教授の研究では、転職者への「組織再社会化」において、上司による「モニタリングリフレクション(進捗管理と内省支援)」が最も重要であることが実証されています。

転職者は「即戦力」というラベルを貼られがちですが、実際には新しい組織の規範や業務の進め方を学び直す必要があります。前職での経験が新しい職場で通用しない場合、「学習棄却(unlearning)」が必要になることもあります。

派遣事業での組織再社会化支援のポイント

  • 経験者だからといってサポートを省略せず、むしろ丁寧なオンボーディングを実施する
  • 前職での経験を尊重しつつ、新しい職場での「やり方」を明示的に伝える
  • 定期的なチェックイン(週次または月次)で、適応状況を確認し、必要に応じて軌道修正する

第五部 「越境学習」と派遣スタッフのキャリア開発

中原教授の研究では、「越境学習」(個人が所属する組織の境界を往還し、自分の仕事や業務に関連する内容について学習・内省すること)が、個人業績や組織コミットメント、キャリア成熟に正の関係を持つことが示されています。

派遣という働き方は、ある意味で「越境」そのものです。複数の派遣先を経験することで、多様な業務経験と組織文化に触れることができます。この構造的特性を、単なる「不安定性」ではなく「学習機会」として積極的に位置づけることが重要です。

越境学習を促進する施策例

  • 派遣スタッフ向けの勉強会・交流会の定期開催(月1回程度)
  • 業界団体や専門職コミュニティへの参加支援
  • 社外研修・セミナーへの参加奨励(費用補助制度の整備)
  • 異なる派遣先での経験を積極的に評価する人事制度(ポートフォリオキャリアの推奨)

第六部 「熟達の10年ルール」と支援のフェイディング

中原教授の職場学習研究では、「熟達の10年ルール」に基づき、業務支援や内省支援の量を段階的に調整することの重要性が指摘されています。

具体的には、1~2年目は多くの支援が必要ですが、10年目を境にフェイディング(徐々に支援を減らすこと)するのが望ましいとされています。これは、学習者の自律性を尊重し、過度な依存を防ぐためです。

派遣事業においても、派遣スタッフの経験年数やスキルレベルに応じて、支援の頻度や内容を調整する「段階的自立支援モデル」を設計することが効果的です。

支援のフェイディング設計例

  • 初級(1年未満) 週1回の定期連絡、月1回の対面面談
  • 中級(1~3年) 月2回の定期連絡、3ヶ月に1回の対面面談
  • 上級(3年以上) 月1回の定期連絡、半年に1回の対面面談、本人からの相談があれば随時対応

結論 派遣事業経営における「職場学習環境」の戦略的設計

中原淳教授の一連の研究が示すのは、人材育成を「個人への知識伝達」としてではなく、「学習環境の設計」として捉え直すことの重要性です。

派遣事業経営者にとって、この視点は以下の3つの実践的意義を持ちます。

1. 派遣先企業との協働による統合的学習環境の構築

派遣元でのOff-JTと派遣先でのOJTを分断するのではなく、両者を連携させた統合的な学習環境を設計します。具体的には、派遣元での研修内容を派遣先と共有し、現場での実践機会を意図的に設ける、あるいは派遣先での経験を派遣元でのフォローアップ研修で振り返る、といった循環を作ります。

2. 多層的支援ネットワークの組織的構築

上司からの垂直的支援だけでなく、先輩・同僚・同期といった多様な他者からの支援を意図的に設計します。特に「内省支援」を提供できる人材を育成し、配置することが重要です。派遣元の営業担当者やキャリアコンサルタントに対して、単なる業務連絡係ではなく「内省支援者」としての役割を担えるよう、研修を実施します。

3. 経験学習サイクルを回す仕組みの埋め込み

派遣スタッフが「具体的経験→内省→概念化→実験」というサイクルを自然に回せるよう、定期的な振り返りの機会、経験共有セッション、次のステップへのチャレンジ機会を制度として埋め込みます。


おわりに

労働者派遣法の改正により、派遣労働者の「同一労働同一賃金」や「キャリアアップ支援」が法的義務となっています。しかし、法令遵守は最低限の基準であり、真の競争優位性は「学習する組織」としての派遣会社を構築できるかどうかにかかっています。

中原淳教授の研究が示す「職場学習環境」という視点は、派遣スタッフの能力向上と定着率改善、ひいては派遣先企業からの信頼獲得という、派遣事業経営の根幹に直結する重要なフレームワークです。

ここで紹介した中原教授の知見を、貴社の人材育成体系の見直しや、新たな教育訓練計画の策定にご活用いただければ幸いです。


参考文献


公認会計士による労働者派遣事業支援サービスの一環として作成されました。派遣事業の監査については、お気軽にお問い合わせください。

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投稿者プロフィール

jinzaihaken
jinzaihaken
労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。