「合理的理由のない不利益取扱い禁止」が導く派遣事業経営の新潮流:水町勇一郎教授の労働法研究から学ぶ実務対応

同一労働同一賃金の法制化以降、労働者派遣事業における待遇格差問題は、経営上の最重要課題の一つとなっています。派遣事業許可申請における審査でも、派遣労働者の適正な処遇確保は厳格にチェックされる項目です。ここでは、労働法学の第一人者である水町勇一郎教授(早稲田大学法学学術院教授、元東京大学社会科学研究所教授)の先駆的研究に基づき、派遣事業経営者が直面する待遇格差問題への実践的アプローチを提示します。

水町勇一郎教授の労働法研究が示す視座

水町教授は1990年東京大学法学部卒業後、東北大学法学部助教授、パリ西大学客員教授、ニューヨーク大学ロースクール客員研究員、東京大学社会科学研究所教授などを歴任し、2024年より早稲田大学教授としてご着任されています。働き方改革実現会議議員、内閣府規制改革推進会議委員などを務め、日本の労働法制改革に直接関与してきた実績を持つ、労働法学における最高峰の研究者です。

教授の2011年の論文「『同一労働同一賃金』は幻想か?-正規・非正規労働者間の格差是正のための法原則のあり方-」(経済産業研究所ディスカッションペーパー)は、同一労働同一賃金の政策議論に理論的基盤を提供し、政府の働き方改革関連法の制定に大きな影響を与えた画期的な研究です。

「同一労働同一賃金」の限界と新たな法原則

三つの政策選択肢

水町教授は、非正規労働者の待遇格差問題を解決するための政策的選択肢として、以下の3つを提示しています。

  1. 同一キャリア同一待遇原則:職務内容、人材活用の仕組み、キャリアパスが同一であれば同一待遇とする(現行パートタイム労働法8条の基本構造)
  2. 同一労働同一待遇原則:同じ仕事をしていれば同じ賃金を支払う(民主党2009年マニフェストで掲げられた原則)
  3. 合理的理由のない不利益取扱い禁止原則:合理的な理由がない限り、雇用形態を理由とした不利益取扱いを禁止する

日本における「同一労働同一賃金」の困難性

水町教授は、日本で厳格な「同一労働同一賃金」原則を導入することの問題点を以下のように指摘しています。

  • 人事制度の多様性:日本企業の賃金制度は職務給だけでなく、職務遂行能力、年功、貢献度など多様な要素で構成されている
  • 給付の広範性:通勤手当、社内食堂、健康診断など、職務内容に直結しない給付が多数存在する
  • 予測可能性の低さ:「同一労働」の判断基準が不明確で、企業も労働者も予測困難

実際、現行パートタイム労働法8条は要件が複雑かつ厳格すぎるため、同条を適用して差別的取扱いを違法とした裁判例は未だ存在せず、その機能は極めて限定的です。2009年度の都道府県労働局による是正指導件数25,928件のうち、同条関係はわずか7件(0.0%)にとどまります。

フランス・ドイツから学ぶ実務的アプローチ

ヨーロッパにおける法原則の実際

水町教授の比較法研究によれば、フランスやドイツでは法律上「同一労働同一待遇原則」を定めているものの、実際の運用では「客観的(合理的)理由のない不利益取扱い禁止原則」に沿った柔軟な判断が行われています。

フランスの事例

  • 労働時間短縮に伴う賃金補償措置について、パートタイム労働者にも時間比例で適用(破毀院1987年判決)
  • 年末賞与や休暇手当についても、労働時間に比例した支給を認める(破毀院1992年、1998年判決)
  • ただし、食券の支給は労働時間ではなく「勤務時間内に昼食時間が挟まれているか」で判断
  • 通勤費は労働時間によらず「通勤の要否」で支給を決定

ドイツの事例

  • 有期契約労働者の不利益取扱いについて、「客観的な理由」の判断において企業の人事制度の多様性を考慮
  • 派遣労働者についても、労働協約に異なる定めがない限り、派遣先企業の直接雇用労働者と同様の給付を行うべきと解釈

これらの国々でも、日本と同様に職務給が完全に貫徹されているわけではなく、多様な実態を「合理的な理由」の判断の中に取り込みながら、法を柔軟に適用する工夫がなされているのです。

派遣事業経営における「合理的な理由」の具体的判断基準

水町教授は、「合理的な理由」の判断は給付の目的・性質に応じて個別に行われるべきとし、以下の4類型を提示しています。

1. 職務内容と関連性の高い給付

対象給付:基本給、職務手当、資格手当など

合理的理由となる要素

  • 職務内容の違い
  • 責任の程度の差異
  • 必要とされる経験・資格の相違
  • 職務遂行能力の差

実務対応:派遣労働者と派遣先正社員の職務記述書(ジョブディスクリプション)を明確化し、職務内容・責任範囲の違いを文書化することが不可欠です。

2. 勤続期間と結びついた給付

対象給付:勤続手当、定期昇給、退職金など

合理的理由となる要素

  • 勤続年数の違い
  • 企業への定着度・継続雇用の見込み
  • 長期的なキャリア形成の有無

実務対応:派遣労働者の勤続年数を正確に管理し、勤続年数に応じた処遇改善制度(例えば勤続3年以上の派遣労働者への手当支給)を検討すべきです。

3. 会社への貢献に対して支給される給付

対象給付:業績手当、賞与、成果給など

合理的理由となる要素

  • 個人の業績・成果の違い
  • 会社業績への貢献度
  • 目標達成度

実務対応:派遣労働者に対しても明確な業績評価制度を導入し、貢献度に応じた処遇を行うことで、モチベーション向上と合理性の双方を実現できます。

4. 同じ会社・場所で働くメンバーとしての地位に基づく給付

対象給付:通勤手当、食堂利用、福利厚生施設、健康診断など

合理的理由の判断

  • 派遣労働者も派遣先で「同じ場所で働く労働者」としての地位を有する
  • これらの給付については、派遣元・派遣先のいずれかが提供すべき
  • 食堂や更衣室など、派遣先の施設については派遣先が利用を認めるべき

実務対応:派遣先企業との契約において、福利厚生施設の利用範囲を明確に定め、派遣労働者への説明責任を果たすことが重要です。

神林龍・水町勇一郎共著論文が示す派遣法の政策効果

水町教授は神林龍教授(一橋大学)との共著論文「労働者派遣法の政策効果について」(2014年、日本労働研究雑誌)において、派遣法の立法目的を実証的に検証しています。

派遣法の三つの立法目的

同論文は、派遣法の目的を以下の3点に集約しています。

  1. 労働市場の需給調整機能の改善
  2. 派遣労働者の雇用の安定
  3. 派遣労働者の労働条件の改善

実証分析から得られた知見

職業安定業務統計や就業構造基本調査の分析から、以下の点が明らかになりました。

  • 2004年改正(製造業派遣の解禁)後、マッチング効率性が改善された可能性がある
  • 同時期に派遣労働者の無業確率が他の非正規労働者と比較して上昇
  • 派遣労働者の時間賃金や年間労働時間の改善は必ずしも達成されていない

この分析結果は、派遣事業が労働市場の流動性向上に一定の貢献をした一方で、派遣労働者個人の雇用安定や労働条件改善という本来の目的は十分に達成されていないことを示しています。

派遣事業経営者が今すぐ実践すべき7つのアクション

水町教授の研究成果を踏まえ、派遣事業経営者は以下の実務対応を講じるべきです。

1. 待遇格差の「合理的理由」の文書化

すべての給付・手当について、派遣労働者と正社員(または派遣先労働者)との間に差異がある場合、その「合理的な理由」を文書化し、説明できる体制を構築してください。

具体例

  • 基本給の差異→職務内容・責任範囲の違いを職務記述書で明示
  • 賞与の有無→会社業績への貢献形態の違いを評価制度で説明
  • 福利厚生の違い→雇用主体(派遣元・派遣先)の違いを契約書で明確化

2. 給付の目的・性質別の分類と整理

自社で提供している給付を、前述の4類型(職務関連、勤続関連、貢献関連、メンバーシップ関連)に分類し、それぞれについて適切な取扱いを定めてください。

3. 説明責任の徹底

パートタイム・有期雇用労働法14条は、派遣労働者から求めがあった場合、待遇差の内容・理由について説明する義務を派遣元事業主に課しています。求めがなくとも、雇入れ時や待遇変更時に自主的に説明することが望ましい対応です。

4. 立証責任への備え

訴訟等において、待遇差の「合理的理由」の立証責任は使用者側が負います。日頃から以下の記録を整備してください。

  • 派遣労働者と比較対象労働者の職務内容記録
  • 勤続年数・評価結果・業績データ
  • 給与体系・手当支給基準の根拠資料
  • 労使協議の記録

5. 派遣先企業との協定の見直し

労働者派遣法30条の4は、派遣先均等・均衡待遇の確保について派遣先企業に情報提供義務を課しています。派遣先企業から必要な情報(比較対象労働者の待遇情報)を確実に入手し、それに基づいた待遇決定を行ってください。

6. 段階的処遇改善制度の導入

勤続年数や職務習熟度に応じた段階的な処遇改善制度を導入することで、「合理的理由」の説明がしやすくなるとともに、派遣労働者のモチベーション向上にもつながります。

具体例

  • 勤続1年:基本時給+50円
  • 勤続3年:基本時給+100円+勤続手当
  • 勤続5年:基本時給+150円+勤続手当+無期雇用転換オプション

7. 労使コミュニケーションの強化

待遇決定プロセスへの透明性を高め、派遣労働者との対話を重視してください。不利益取扱いの有無や差異の理由について、労使で納得が成立していることが、紛争予防の最善策です。

同一労働同一賃金ガイドラインとの整合性

厚生労働省「同一労働同一賃金ガイドライン」(2018年)は、水町教授の研究成果を踏まえて策定されたものです。同ガイドラインは、基本給、賞与、各種手当について、「不合理な待遇差」の具体例を示しています。

重要なのは、ガイドラインが求めているのは画一的な「同一賃金」ではなく、「待遇差の合理性」であるという点です。派遣事業経営者は、ガイドラインを「禁止事項のリスト」としてではなく、「合理性判断の指針」として活用すべきです。

今後の法改正の方向性

水町教授の研究は、今後の労働法制改革の方向性を示唆しています。

  1. 包括的な不利益取扱い禁止原則の確立:パート、有期、派遣を横断する統一的な法原則の整備
  2. 「合理的理由」判断基準の明確化:判例の蓄積と行政ガイドラインの充実
  3. 救済手続の実効性向上:行政指導の強化と司法救済へのアクセス改善
  4. 説明義務・情報開示義務の拡充:透明性の高い待遇決定プロセスの制度化

派遣事業経営者は、こうした法制度の動向を見据えた先行的な対応を行うことで、法令遵守のみならず、優秀な人材の確保と企業価値の向上を実現できます。

結語

水町勇一郎教授の労働法研究が示すのは、「同一労働同一賃金」という単純なスローガンではなく、給付の目的・性質に応じた「合理的な理由のない不利益取扱い禁止」という、より精緻で実務的な法原則です。

派遣事業経営者にとって重要なのは、この原則を単なる規制として受け止めるのではなく、公正で透明性の高い人事制度を構築し、派遣労働者との信頼関係を築くための指針として活用することです。

当事務所では、労働者派遣事業許可申請の財務監査に加え、水町教授の研究成果に基づいた同一労働同一賃金対応支援、就業規則・給与規程の整備支援もご提供しています。持続可能な派遣事業経営の実現に向け、ぜひご相談ください。


参考文献


公認会計士による労働者派遣事業許可申請支援サービスの一環として作成されました。派遣事業の監査については、お気軽にお問い合わせください。

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投稿者プロフィール

jinzaihaken
jinzaihaken
労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。