「踏み石」のはずが「底なし沼」だった──鶴光太郎先生のデータが静かに告げる、派遣業界の不都合な現実

派遣で働けば、いつか正社員になれる──その物語はどこから来たのか

「とりあえず派遣でいいや。いずれ正社員になれるでしょ」

そういう声は今も珍しくない。景気の波にもまれ、就職活動がうまくいかず、あるいは育児や介護でキャリアに空白ができ、それでも働き続けなければならない人たちが、派遣という形態を「仮の宿」として選ぶ。そこには一種の楽観がある。踏み石を踏めば、正社員という対岸に渡れる、という。

この楽観を、データで静かに崩してくれた人がいる。鶴光太郎先生だ。元慶應義塾大学大学院商学研究科教授、現在は大妻女子大学データサイエンス学部教授で、経済産業研究所(RIETI)のプログラムディレクターも務める、労働経済学の世界では相当に存在感のある方だ。その鶴先生が2009年から2010年にかけて実施した大規模調査「派遣労働者の生活と求職行動に関するアンケート調査」、通称RIETI調査が、業界の通念にかなり手厳しい結果を叩きつけている。

この記事を読んでいる方が派遣事業の経営者であれば、まず心を落ち着けてから続きを読んでほしい。「どうせ学者の難しい話でしょ」と思ったら、それはちょっと損だ。鶴先生の研究は、派遣という業態そのものを語り直す素材として、かなり使える。

「派遣労働者」という一枚岩の幻想

まず誤解を解こう。「派遣労働者」と一言で言っても、それが指す実態はかなり幅広い。RIETI調査が追跡した約2,000名の非正規労働者を見ると、同じ「派遣」という括りの中でも属性がまるで違う。

製造業派遣は未婚・単身の男性が多く、月収18〜19万円、週約40時間とフルタイムに近い労働実態を持ち、家計の支持者としての側面が強い。対して日雇い派遣は親と同居し、月収9〜12万円、月12〜14日程度の稼働で「自分の都合に合わせて働きたい」という理由で選んでいる人が多い。

この2つを同じ「派遣」として制度論で語るのは、北海道のサラリーマンと沖縄のフリーターを同じ「日本人の働き方」として語るくらいざっくりしている。政策議論でも、派遣事業の経営論でも、まずこの多様性の認識が出発点でなければならない。

ここで重要なのが、自発性の問題だ。製造業派遣・登録型派遣・契約社員の約5割が「正社員として働けないから」という非自発的な理由で派遣を選んでいる、とRIETI調査は示す。「自分の都合の良い時間で働きたい」という自発的理由で働くパート・アルバイト(約6割)とは対照的だ。

約半数が「本当はここにいたくない」という状態で働いている、ということだ。この人たちの幸福度や仕事への満足度が低いのは、給料が安いからだけではない。ここでいう満足度の低さとはつまり、自分の将来に対するコントロール感覚の欠如、つまり「いつまでこの状態が続くのかわからない」という慢性的な不確実性に由来する精神的な疲弊のことだ。

データが言いにくいことを言ってくれた

鶴先生たちの別の論文「派遣労働は正社員への踏み石か、それとも不安定雇用への入り口か」(2011年、RIETIディスカッションペーパー)は、タイトルからして既にかなりのことを示唆している。踏み石か、入り口か。どちらかを問うているということは、踏み石ではない可能性を最初から考慮しているということだ。

研究では「平均処置効果推定」という統計手法を使っている。平均処置効果推定とはつまり、「同じような属性を持つ人が派遣を選んだ場合と選ばなかった場合で、その後の結果がどう違うか」を比較する分析手法だ。単純な「派遣経験者の正社員転換率」を見るのではなく、バイアスを排除した上で効果を推定する。

結果は二つに割れた。

一つ目の発見は、1か月以上の派遣労働者がその後正社員に転換する確率は、同等の属性を持つパート・アルバイト労働者と比較して有意に低い、というものだ。これは、派遣が正社員への踏み石として十分に機能していないことを実証したものとして、業界関係者にはかなり重い数字だ。

二つ目の発見は、1年後までの賃金水準は派遣労働者の方が失業者よりも有意に高い、というものだ。つまり少なくとも短期的には「貧困への緊急避難先」として派遣は機能している。

まとめると「お金は助かるが、その後の道が開けにくい」ということだ。緊急避難先として機能しながら、出口を見えにくくしている──これを一語で言えば「構造的な袋小路」と呼ぶべきかもしれない。

問題は「派遣」という業態ではなく「有期雇用」そのものだ

ここで鶴先生の視点は少し俯瞰に転じる。「非正規雇用問題解決のための鳥瞰図──有期雇用改革に向けて」(2011年、RIETIディスカッションペーパー)において、先生が指摘するのは、問題の本質は「派遣」という業態にあるのではなく「有期雇用」という雇用形態そのものにある、という点だ。

ここでいう有期雇用の問題とはつまり、短期契約が常態化することで、企業も労働者も技能訓練への投資インセンティブが働きにくくなる状態のことだ。企業側は「どうせすぐ辞めるかもしれない人に教育コストをかけたくない」と思い、労働者側も「どうせ長くいられないなら必死に学んでも意味がない」と思う。人的資本の蓄積が止まる、というやつだ。

人的資本とは、個人が持つ知識・技能・経験の総体であり、労働生産性の根源となるものだ。その蓄積が阻害されると、企業の短期的なコスト削減効果を上回る、長期的な生産性低下リスクが生じる。

要するに、「安いから派遣を使う」という発想で有期雇用を乱用すると、じわじわと会社の体力を削ることになる。そしてそれは派遣先企業だけの問題ではなく、派遣元の事業者にとっても、需要が縮小するという形で跳ね返ってくる。痛い話ではあるが、目を逸らしても仕方がない。

「規制強化」として受け取るか、「再設計の好機」と読むか

鶴先生は改革の方向性として4つを示している。日本型アレンジの重視(海外制度の盲目的な移入ではなく、日本の雇用慣行に合わせた改革)、有期雇用の罪悪視からの脱却(形態そのものを否定するのではなく適正な活用を促進すること)、企業と有期労働者の相互信頼の再構築、そして処遇規制の重視(雇用規制より処遇の公平性を優先した設計)だ。

これを受けて派遣事業の経営者が今すぐ考えるべき実務は、大きく三つある。

一つは契約時点での透明性の確保だ。雇止めに関する予測可能性を高めることで、労使間の認識ギャップを減らす。「更新の可能性がある契約」「回数や期間に上限がある契約」「最初から更新のない契約」──このコース分けを最初から明示することが、トラブル防止と信頼獲得の両方につながる。

二つ目は均衡処遇の設計だ。勤続期間や貢献度を考慮した「期間比例の原則」に基づく処遇体系を作ること。法制化を待って渋々動くのか、それより先に動いて信頼を積み上げるのか、判断のタイミングは経営者の裁量にある。

三つ目はキャリアパスの設計だ。鶴先生の実証研究が示したように、派遣は現状では正社員への踏み石になりにくい。この現実を変えようとするなら、派遣労働者に対する計画的な教育訓練機会の提供と、正社員転換や無期雇用への移行を視野に入れた出口設計が必要になる。これは社会的責任の話ではなく、優秀な人材を確保・定着させるという経営上の合理的判断の話だ。

グッとこらえて言わないでおくが、これができていない派遣会社が多いのは、おそらく全員わかっているだろう。

「コスト削減の道具」か、「人材戦略のパートナー」か

ここで問いを一つ置こう。

あなたの会社は今、派遣先企業に対して何を売っているか。

「人が安く揃います」という提案をしているのか。それとも「御社の人材課題を中長期的に解決します」という提案をしているのか。

前者のポジションは競合との価格競争に直結し、サービスの質より「いかに安く頭数を揃えるか」という方向に経営が引っ張られる。後者のポジションは、派遣先企業との関係を継続的なものにし、単価ではなく価値で勝負できる。

鶴先生の研究が示したことをもう一度整理すれば、有期雇用の過度な活用は中長期的に企業の生産性を下げる可能性がある、ということだ。これを派遣事業者の言葉に翻訳すれば、「短期コスト削減のための安売り提案をし続けると、いずれ派遣先企業の体力が落ちて、派遣ニーズそのものが縮小する」ということになる。

つまり、目先の受注を取りに行く提案が、5年後・10年後の市場を食いつぶしている可能性がある。これは単なる倫理論ではなく、業界全体の持続可能性に関わる構造問題だ。

「緊急避難先」か、「キャリアの入口」か

RIETI調査が明らかにした派遣労働の実態は、かなり突き刺さる。約半数が「本当は正社員になりたい」と思いながら派遣で働き、その人たちの幸福度はパート・アルバイトより有意に低く、その後正社員に転換できる確率もパート・アルバイトより低い。

お金の緊急避難先としては機能するが、その先の道を作ってはいない──これが現実だ。

「不道徳な利益追求のための使い捨て」か「持続可能な社会インフラとしての雇用形態」か、という言い方をすると大げさに聞こえるかもしれない。でも、鶴先生のデータが静かに問いかけているのはそういうことだと、私には読める。

派遣業が社会から必要とされ続けるためには、労働者の幸福度を上げ、キャリア形成を支え、公正な処遇を実現することが不可欠だ。それは理想論ではなく、事業の持続可能性そのものだ。事業の持続可能性とはつまり、自社の派遣スタッフが「ここで働いてよかった」と思える状態を設計し続けること、その積み重ねが評判になり、優秀な人材の確保につながり、派遣先企業との信頼を育てるという循環のことだ。

この循環を回している会社とそうでない会社は、5年後に明確な差が出る。景気が良い時期はどちらも似たように見えるが、逆風が来た時に初めてその差が表面に出る。


鶴先生の一連の研究を一言で封じるとすれば、こうなる──「派遣労働の問題は、制度の問題ではなく設計の問題だ」。

そしてその設計を担うのは、厚生労働省でも研究者でもなく、許可証を手にして事業を動かしている経営者一人ひとりだ。そういう当たり前の話を、データが改めて言ってくれているわけだ。私はそこに、妙に誠実なものを感じる。


公認会計士による労働者派遣事業許可申請支援サービスの一環として作成されました。月次決算書の監査、経営改善支援については、お気軽にお問い合わせください。

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jinzaihaken
jinzaihaken
労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。