「AUPは監査じゃないから大丈夫」では済まない話
「先生、来月の許可更新に間に合わせたいので、この6月の決算書をチェックしてもらえませんか?」
人材派遣会社を経営するBさんからの電話でした。メールで送られてきた決算書を見た瞬間、私は「これはおかしい」と思いました。
先月の現金:800万円 → 今月:2,300万円(いきなり1,500万円も増加)
先月の売上:600万円 → 今月:2,500万円(いきなり4倍)
でも、従業員の数は先月と同じ15人のまま。
普通に考えて、従業員が増えていないのに売上が4倍になるなんておかしいですよね? しかも、その分の現金が突然1,500万円も増えている。誰が見ても「これは怪しい」と分かる数字でした。
「監査じゃないから大丈夫」という誤解
公認会計士が行う仕事には、大きく分けて2種類あります。
監査: 会社の決算書が正しいかどうかを厳しくチェックして、「この決算書はおおむね妥当です」と意見を言う仕事。
合意された手続(AUP): 依頼者と約束した内容だけをチェックして、「こういう結果でした」と事実を報告する仕事。意見は言いません。
今回Bさんが依頼してきたのは、後者の「合意された手続(AUP)」でした。
「AUPは監査じゃないから、契約書に書いた内容だけチェックすればいいんでしょう? 細かいことは気にしないで、とりあえず報告書を作ってもらえませんか?」
Bさんはそう言いました。確かに、「監査じゃないから、契約書通りにやればいい」と判断する会計士もいるかもしれません。
でも、私はこの依頼をお断りしました。
なぜ断ったのか?
理由は3つあります。
理由1: 法律で決まっているルールがある
人材派遣会社が許可をもらうとき、厚生労働省は「ちゃんとお金があるか」をチェックします。一定の場合には、公認会計士が作る報告書が必要になります。
この報告書の作り方は、厚生労働省が「日本公認会計士協会の専門業務実務指針4450に従って作りなさい」と決めています。つまり、公認会計士が自由に判断していいわけではなく、決まったルールに従わなければいけないのです。
理由2: 「職業倫理」を守る義務がある
その専門業務実務指針4450には、こう書いてあります。
「この仕事をするときは、品質管理と職業倫理に関する規定を守らなければならない」
「職業倫理」というのは、公認会計士が守るべき5つの約束です。
- 誠実性: 正直であること
- 公正性: えこひいきしないこと
- 専門家としての能力: きちんと勉強して、正しく仕事をすること
- 守秘義務: 知った情報を勝手に他人に話さないこと
- 専門家としての行動: ルールを守り、公認会計士全体の信用を守ること
この中で今回一番大事なのが、1番目の「誠実性」です。
理由3: 「正直であること」が一番大切
倫理規則には、こう書いてあります。
「誠実性とは、すべての仕事において、正直であることです」
明らかにおかしい数字が書いてある決算書を見て、「まあ、監査じゃないし、契約書通りにチェックするだけだから問題ないか」と目をつぶることは、「正直である」と言えるでしょうか?
私は「正直ではない」と思いました。だから、お断りしたのです。
Bさんとの会話
Bさんに電話で状況を聞きました。
私: 「今月の売上が急に増えていますが、どういうことですか?」
Bさん: 「新しい取引先ができたんです。大手のC社に、一気に30人くらい派遣しました」
私: 「でも、御社の従業員は先月と同じ15人ですよね? 派遣するスタッフが30人も増えたのに、管理する人は増えていないんですか?」
Bさん: 「いや、既にいた登録スタッフを回しただけで。それと、C社からの入金は現金で受け取ったので、銀行の記録には残ってないんですが。」
私: 「大手企業が2,000万円を現金で払うことは、普通ありませんよ。契約書や請求書、勤務記録などの書類は見せてもらえますか?」
Bさん: 「それが、契約書はまだ正式に作ってなくて。でも、AUPは監査じゃないから、契約書に書いた内容だけチェックしてもらえればいいんですよね?」
この瞬間、私は断ることを決めました。
断った理由を説明
Bさんには、こう説明しました。
「申し訳ありませんが、今回のご依頼はお引き受けできません。
理由は、厚生労働省のルールで、人材派遣会社のチェック業務は『専門業務実務指針4450』に従うことが決まっているからです。
そして、その実務指針には『職業倫理を守ること』と書いてあります。
職業倫理の第一番目は『誠実性=正直であること』です。
今回いただいた決算書には、常識的に見ておかしい数字があります。このまま仕事を引き受けて、形だけチェックして報告書を作ることは、『正直である』とは言えません。
私は公認会計士として、社会からの信頼に応える責任があります。今回の依頼は、その信頼を損なう可能性があるため、お引き受けできません」
Bさんは不満そうでしたが、最終的には理解してくれました。
もし引き受けていたら?
もし私が「まあ、監査じゃないし、お金ももらえるし、引き受けよう」と判断していたらどうなっていたでしょうか?
まあ、不適切会計による月次決算書だったとしても、それが発覚する可能性はほとんどありませんから、この仮の想定には自分でも答えがみあたりませでした。
でも、職業倫理に照らし合わせて、「契約書通りにチェックしただけです」という言い訳は通用しません。なぜなら、ルールで「職業倫理を守りなさい」と決まっているからです。
3か月後の出来事
Bさんの依頼を断った約3か月後、別の派遣会社Dさんから連絡がありました。
「Bさんから聞きました。先生は、おかしい決算書の依頼をきっぱり断った正直な人だと。うちは決算書に自信がありますので、ぜひお願いしたいです」
Dさんの決算書を見ると、とても健全な内容でした。仕事は順調に進み、Dさんは無事に許可更新ができました。
この話から分かること
短期的には、依頼を断ったので得べかりし報酬を失いました。でも、長期的には「信頼できる専門家」という評判が広がり、ちゃんとした依頼者からの仕事が増えました。
正直であることは、損ではなく、得なのです。
「AUPは監査じゃない」の本当の意味
「AUPは監査ではない」というのは、確かに正しいです。でも、それは以下を意味しています。
意味すること
- 公認会計士は「この決算書は正しいです」という意見を言わなくていい
- 契約書で約束した内容だけをチェックすればいい
意味しないこと
- 明らかにおかしい決算書でも、目をつぶって仕事をしていい
- 職業倫理(正直であること)を守らなくていい
法律のルートはこうなっています:
厚生労働省のルール
↓
専門業務実務指針4450「職業倫理を守りなさい」
↓
倫理規則「誠実性=正直であること」
つまり、人材派遣会社のチェック業務では、「正直であること」が義務付けられているのです。
まとめ: 正直であることが専門家の仕事
私が粉飾が疑われる決算書への依頼を断った理由は、「法律で決まっているから」だけではありません。
公認会計士という仕事は、社会からの信頼で成り立っています。
その信頼は、こんな行動で守られます:
- 正直であること
- 圧力に負けないこと
- きちんと勉強して、正しく判断すること
- 公認会計士全体の信用を守ること
「監査じゃないから、少しくらいおかしくても大丈夫」という考えは、この信頼を壊します。
目先のお金のために、長い期間かけて築いた信用を失う選択はしません。
それが、専門家としての「正直さ」です。
人材派遣会社の経営者の皆さんへ
間違った考え方: 「許可更新の期限が迫っているから、とりあえず数字を合わせて、チェックを通過させればいい」
正しい考え方: 「財産的基礎の要件は、派遣スタッフの給料をちゃんと払うための制度。ごまかして許可を取っても、お金がないままではいずれ行き詰まる。本当に必要なのは、資本金を増やしたり、借入をしたり、経費を見直したりして、本質的に財務を改善すること」
おすすめの進め方
- 更新期限の6か月前に、顧問税理士事務所に相談
- 基準を満たせないなら、増資や借入など実質的な対策をする
- 契約書や請求書などの書類をきちんと整える
顧問税理士事務所は敵ではありません。財務管理の専門家として、一緒に問題を解決するパートナーです。
最後に
「AUPは監査じゃないから大丈夫」という言葉には、大きな誤解が含まれています。
確かに、AUPは監査ほど厳しくチェックするわけではありません。でも、「正直であること」が義務付けられているのです。
短期的には、依頼を断ることで報酬を失うかもしれません。でも、長期的には、正直であることで「信頼できる専門家」という評判が広がり、ちゃんとした仕事が増えていきます。
正直であることは、損ではなく、投資です。
それが、専門家として社会から信頼され、長く仕事を続けるための一番大切なことだと、私は信じています。
この記事は、監査業務に20年以上携わる現役公認会計士の実体験に基づいています。守秘義務のため、社名や具体的な数字は変更していますが、判断の流れは実際の出来事を再現しています。
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投稿者プロフィール

- 労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。
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