わかっているのに動けない会社が、派遣許可のあとでつまずく理由 ジェフリー・フェファー、ロバート・I・サットン『The Knowing-Doing Gap』から考える、派遣会社の実行力
労働者派遣事業の新規許可を取る場面では、財産的基礎の確認が避けて通れません。厚生労働省の新規許可関係FAQで確認できる一般的な数値要件は、基準資産額が事業所数に二千万円を乗じた額以上であること、かつ負債総額の七分の一以上であること、さらに自己名義の現金・預金額が事業所数に千五百万円を乗じた額以上であることです。事業年度末の決算で要件を満たさない場合でも、基準資産額または自己名義の現金・預金額が増加していれば、公認会計士または監査法人による監査証明を受けた中間決算または月次決算で確認できるとされています。更新申請では、監査証明に加え、合意された手続業務による確認も可能です。
このあたりは制度ですから、気合いで解決する種類の話ではありません。経営者としては「なんとかならないか」と思う瞬間もあるかもしれませんが、数字はだいたい、こちらの心情に寄り添ってくれません。もっとも、ここで本当に考えるべきなのは、許可取得時点の数値だけではありません。許可を取ったあとに、会社が継続的に成果を出せるかどうか。その分かれ目になるのが、知っていることを実行できるかどうかです。
この問題を正面から扱ったのが、スタンフォード大学のジェフリー・フェファーとロバート・I・サットンによる The Knowing-Doing Gap です。フェファーはスタンフォード大学経営大学院の Thomas D. Dee II Professor of Organizational Behavior で、1979年から同校で教えています。サットンは組織心理学者で、スタンフォード大学で長年教鞭を執り、現在は Professor Emeritus です。いずれも、組織行動論やマネジメント研究の第一線で長く活動してきた研究者です。
彼らの問題提起は、派遣事業の経営にもそのまま当てはまります。会社は「何をすべきか」を知っていても、その知識を現場の行動に変える段階で失速する。会議、分析、研修、方針、スローガンがいくら立派でも、行動が変わらなければ業績も現場運営も変わりません。要するに、知っているだけでは足りないということです。耳に優しくない話ですが、かなり本質です。
──────────────── 人材派遣事業で問題になる「知識と行動のギャップ」とは何か ────────────────
The Knowing-Doing Gap が扱うのは、企業が学習や知識獲得に熱心である一方で、それを実際の行動に落とし込めないという現象です。フェファーとサットンは、企業には経験、データ、出版物、研修、コンサルティングなど多くの知識源があるにもかかわらず、実行が伴わないため成果につながらないと論じました。
この問題は、派遣会社の経営でも珍しくありません。
たとえば、次のような論点は多くの会社で共有されています。
・派遣スタッフの定着には就業後フォローが重要である
・派遣先企業との期待値調整がミスマッチ防止に重要である
・現場の声を早く吸い上げる体制が必要である
・営業、採用、管理部門の連携が欠かせない
・法令対応と収益管理を両立させる必要がある
ここまでは、たいていの会社が分かっています。問題は、その「分かっている」が、業務手順、評価制度、会議運営、報告体制にまで落ちているかどうかです。ここが落ちていないと、会議で毎月「重要です」と確認するだけの、ありがたい反復運動になります。人は反省すると仕事をした気持ちになりますが、残念ながら、反省それ自体は実装ではありません。
──────────────── なぜ、わかっていても実行できないのか ────────────────
フェファーとサットンは、知識と行動のギャップを生むいくつかの要因を示しています。派遣事業の経営に引き寄せると、特に重要なのは次の論点です。
──────────────── 1 話すことが行動の代わりになってしまう ────────────────
フェファーとサットンは、話し合い、分析、意思決定、計画作成が、実際の問題解決と混同されやすいと指摘しています。Harvard Business Review の論考 The Smart-Talk Trap でも、議論そのものが行動の代用品になってしまう危険が論じられています。
派遣会社でも、会議で次のようなことはよく確認されます。
・初回フォローを強化しよう
・クレームの予兆を早くつかもう
・派遣先との関係を深めよう
・定着率を重視しよう
どれも正論です。正論なのですが、正論にはときどき麻酔作用があります。いいことを言うと、その場の全員が少し満足してしまう。結果として、誰が、いつまでに、何を、どの帳票や手順に落とすのかが決まらないまま終わることがあります。こうなると会議は経営装置ではなく、安心感の供給施設になります。
実務的には、会議の終わりに最低限次の三点を残す必要があります。
・担当者
・期限
・確認方法
この三点がない議題は、意見交換としては意味があっても、実行管理としては弱いと言わざるを得ません。
──────────────── 2 恐怖が報告と改善を止める ────────────────
実行を妨げる要因として、恐怖は軽視できません。エイミー・エドモンドソンは、一九九九年の Administrative Science Quarterly 論文で、チームの心理的安全性を「対人関係上のリスクを取っても安全だという共有された信念」と定義しました。そして、心理的安全性が高いチームほど、助けを求める、情報を共有する、ミスを話し合う、フィードバックを求めるといった学習行動が促進されると示しました。
派遣事業で言えば、現場が次のことを率直に言えるかどうかです。
・この求人条件では早期離職の可能性が高い
・この派遣先には説明の追加が必要だ
・この登録者とのマッチングには懸念がある
・この運用は法令面で確認したほうがよい
・現場の工数が足りず、フォローが形式化している
これを言った瞬間に「言い訳するな」「余計な仕事を増やすな」「ネガティブだ」と受け止められる組織では、必要な情報ほど上がってきません。その結果、問題は消えるのではなく、見えなくなるだけです。これはかなり厄介です。爆発するまで静かだからです。
経営者としては、「うちは自由に意見を言える」と思いたいところですが、本当にそうかどうかは、会議での発言量より、都合の悪い情報が早めに上がってくるかどうかで判断したほうが正確です。
──────────────── 3 評価指標が行動をゆがめる ────────────────
フェファーとサットンは、何を測るかが何を行うかを左右すると論じています。評価制度が短期件数や売上だけに偏ると、人はその指標に合わせて行動します。これは当たり前のようで、実はかなり破壊力があります。
派遣事業では、短期的な成約件数だけを強く追うと、次のような行動が相対的に軽く見られやすくなります。
・条件説明の丁寧さ
・就業後フォロー
・派遣先との継続的な調整
・登録者との期待値調整
・ミスマッチの事前予防
もちろん、売上や件数を見るなという話ではありません。会社ですから、そこを見ないと今度は別の意味で困ります。ただし、件数だけを見れば件数だけが増え、後工程の負担が増える可能性があります。実務上は、短期成果だけでなく、継続率、苦情対応の質、社内連携、情報共有などをどう評価に織り込むかが重要になります。
この点について、派遣事業者に共通する唯一の最適な指標設計を示した公的な一次資料は、現時点で確認できません。したがって、特定の評価配分が普遍的に正しいと断定することはできません。ただ、測定対象が行動を規定するという原則自体は、フェファーとサットンの議論から十分に確認できます。
──────────────── 4 社内競争が協力を壊す ────────────────
フェファーとサットンは、過度な内部競争が知識共有や協力を損ないうると論じています。個人競争を強めれば短期的に数字が上がることはありますが、長期的に見ると、ノウハウの囲い込みや情報の分断を招く可能性があります。
派遣事業は、営業だけでは完結しません。採用、コーディネーション、契約管理、労務、請求、フォローが連続してつながって初めて品質が出ます。にもかかわらず、個人別の数字だけで組織を動かすと、「自分の案件」「自分の数字」が優先され、共有されるべき情報まで私有化されやすくなります。
これは、誰かが露骨に意地悪をするという話だけではありません。制度がそうなっていれば、普通の人が普通に行動しても、結果として協力しにくい組織になります。組織文化の問題というより、制度設計の問題として見るほうが実務的です。
──────────────── 5 知識の収集で満足してしまう ────────────────
デニス・ルソーは、エビデンスに基づくマネジメントを、最良の証拠に基づく原則を組織実務へ翻訳することだと定義しました。ここで重要なのは「翻訳」です。論文や書籍を読むこと自体が目的ではありません。制度、業務手順、会議運営、教育内容、評価の仕組みに移して初めて意味が出ます。
経営管理部門は、ともすると情報収集のハブになりがちです。それ自体は大事です。ただ、情報を持っていることと、組織が変わることは別です。社内報告書が立派であること、研修資料が厚いこと、制度案が何版も更新されていること。そのすべてが、現場の行動変化を伴わなければ、厳しい言い方をすれば準備の完成度が高いだけです。準備が高品質なのに本番が始まらない。受験参考書だけ妙に揃っている学生時代を思い出して、少し胸が痛くなる経営者の方もいるかもしれませんが、たぶん気のせいではありません。
──────────────── 労働者派遣事業許可と実行力はどう関係するのか ────────────────
労働者派遣事業の新規許可において重要なのは、まず法令上の要件を満たすことです。この点は明確です。財産的基礎要件を満たし、必要書類を整え、手続を適切に進めることが出発点になります。
ただし、経営上はそこで話が終わりません。
なぜなら、許可取得の準備過程では、次のような論点が自然に可視化されるからです。
・数値管理がどこまで正確か
・月次で財務状況を把握できているか
・現場と管理部門の情報連携が機能しているか
・必要な書類を期限どおりに整備できるか
・経営判断が実務に落ちているか
つまり、許可申請や監査証明の準備は、単なる対外提出書類づくりではなく、会社の実行力を映す鏡でもあります。もちろん、監査証明それ自体が営業力や定着率まで保証するわけではありません。そこを混同してはいけません。監査証明は、一定時点の数値要件確認のための手続です。ですが、その手続にきちんと向き合う過程で、組織の管理水準や実務の精度が問われるのも事実です。
──────────────── 派遣会社の経営者と管理部門が確認すべき実務ポイント ────────────────
知識と行動のギャップを埋めるために、派遣会社の経営者と経営管理部門が確認すべきポイントは次のとおりです。
1 会議で決めたことに担当者と期限があるか
議論しただけで終わっていないかを確認します。
2 都合の悪い情報が早く上がってくるか
心理的安全性が低い組織では、問題が見えなくなります。
3 評価指標が短期件数だけに偏っていないか
件数だけを追う制度は、後工程の品質を傷める可能性があります。
4 部門間で情報が共有される設計になっているか
営業、採用、管理、労務の連携は、制度で支える必要があります。
5 許可申請対応を一過性の作業で終わらせていないか
財務管理や業務管理の見直しにつなげる視点が重要です。
──────────────── 知識ではなく、実行で差がつく ────────────────
フェファーとサットンの議論は、派遣事業の経営においても示唆的です。会社は、知らないから失敗するとは限りません。むしろ、分かっているのに、制度に落ちず、行動に変わらず、現場で再現されないから失敗することがあります。
労働者派遣事業の許可取得は、法令上の入口として極めて重要です。しかし、許可を取ったあとに本当に問われるのは、次の点です。
・決めたことを実行できるか
・問題を早く把握できるか
・現場が必要な報告をためらわないか
・評価制度が望ましい行動を促しているか
・部門をまたいで知識を共有できるか
このあたりは華やかではありません。どちらかといえば地味です。ですが、会社を強くするのは、だいたい地味な仕組みです。派手なスローガンより、期限の入った実行項目。勇ましい方針より、言いにくいことを言える会議。そういう、いかにも映えない実務の積み重ねが、長く効いてきます。
許可取得の準備を、単なる申請作業で終わらせるのは少し惜しいと言えます。財務要件の確認、管理体制の整備、現場との連携見直しを通じて、自社の「知っているのに動けない部分」を洗い出す機会として使えれば、申請対応はコストであると同時に、経営改善の入口にもなります。
──────────────── まとめ ────────────────
ジェフリー・フェファーとロバート・I・サットンが The Knowing-Doing Gap で示したのは、企業にとって本当に難しいのは、知識を持つことではなく、知識を行動へ変えることだという点です。
労働者派遣事業の経営でも、この視点は有効です。許可要件を知っているだけでは足りません。財産的基礎要件を満たし、必要に応じて監査証明を活用しつつ、その先で実行できる組織をつくることが重要です。
会議で決めたことが動くか
現場が率直に報告できるか
評価制度が望ましい行動を促しているか
部門間の連携が制度として担保されているか
こうした点を見直すことが、許可取得後の安定運営と持続的成長につながります。
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投稿者プロフィール

- 労働者派遣事業許可に必要な監査や合意された手続に精通し、数多くの企業をサポートしてきました。日々の業務では「クライアントファースト」を何よりも大切にし、丁寧で誠実な対応を心がけています。監査や手続を受けなくても財産的基礎の要件をクリアできる場合には、そちらを優先してご提案するなど、常にお客様の利益を第一に考える良心的な姿勢が信条です。お困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。



